工部省測量司とは? わかりやすく解説

工部省測量司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 23:31 UTC 版)

コリン・アレクサンダー・マクヴェイン」の記事における「工部省測量司」の解説

1871年9月28日明治4年8月14日)に工部省10寮1司の組織正式に発足すると、マクヴェインは測量師長(主任技師)として採用され建築営繕を含む、多方面にわたり山尾任務支えた十分な測量器機がなかったこともあり、まず国土測量のためには多数日本人測量士育成急務考え測量学校を開設することにした。鉄道寮から多才ヘンリー・ジョイナーを副技師に、また、大学教育受けていたリチャード・ライマー・ジョーンズ (Richard Oliver Rymer-Jones) とジョージ・イートン (George Eaton) を修技教員としてそれぞれ転任させ、測量司の最初期体制整えた最初山尾測量司正を兼務したが、すぐに旧佐賀藩松尾辰五郎をその任にあて、その下に村田文夫野村文夫)をおいた。 マクヴェインは測量司の業務範囲国土測量地図作成以外に、気象観測天体観測、さらに地震観測視野入れ山尾相談し、そのための機材購入し、また職員雇用することにした。1872年初頭一時帰国合わせてイギリス機材購入しようとしたが、山尾工学寮工学開校急いでいたため、校舎建設集中することになり、一時帰国一年延期その間銀座大火後の再開発計画案作成、旧江戸城一円測量地図作成行い1872年7月にコスモ・イネス (Cosmo Innes) の紹介英領インドから測量士ハーディを含む3名、1872年暮れにはイギリスから測量士のチースマン、クラセン、スチュワート建築士チャールズ・アルフレッド・シャストール・ド・ボアンヴィル来日した。ヘンリー・シャボーの招聘は、彼は家庭の事情により見送った1872年5月測量正の松尾辰五郎急逝し河野通信測量正となり、新たに室田秀雄測量権助採用された。 1873年5月河野通信留学生小林八郎伴って一時帰国し、各種測量観測器機購入し、またシャボー雇用契約をまとめた。その中にはトロートン&シムス社 (Troughton & Simms) の光学器機、カセラ社 (L. Casella) の気象観測器機、さらにナポリ地震観測台のルイージ・パルミエリ (Luigi Palmieri) 台長発明地震記録計などが含まれていた。これらの器機選定から気象観測手法まで広範にわたってウィリアム・マックスウェルの支援協力があった。 山尾承認得てイギリス測量及び観測関連機関公式訪問協力関係築いた。まず1873年9月グリニッジ天文台でトロートン&シムスが行っている天体観測器機設置作業視察し、そこでジェームス・シムス (James Simms) から金星の太陽面通過観測の手法について指南受けた同年12月にはスコットランド気象協会 (Scottish Meteorological Society) から気象観測技術支援を受ける協定結んだ建築営繕として山尾庸三三条実美らの公邸工部省本庁や勧工寮の公共建築虎ノ門から紀尾井町にかけての多く洋風官庁建築公邸建築設計し横浜から林忠恕呼び寄せ施工監理に当たらせた。 工部省から博覧会事務局副総裁出向した佐野常民から、ウィーン万国博覧会日本館展示方法相談され展示キャビネット設計し、その製造キャンベル・ダグラス通してエジンバラのウィリアム・スコット・モートン社 (William Scott Morton & Co.) に発注したまた、佐野の下で1873年ロンドン博覧会日本館担当しイギリス博物館調査にきていた富田淳久と武田次に便宜提供し、彼らに視察先を紹介した岩倉使節団は、1872年スコットランド訪問した際、マクヴェインの義兄市長務めエジンバラ市役所と、妻の実家のコーワン製紙工場盛大な歓迎受けた同行した久米邦武は大変親切な人たちがいるものだと感心したが、マクヴェインが手配したものであった1873年から1874年にかけての一時帰国の間に、以下の協会会員となった1. エジンバラ王立物理学協会 (Royal Physical Society of Edinburgh) , 1874年1月. 『江戸野鳥 (On the Ornithology of Yedo)』 read in 1874 Annual Meeting of Royal Physical Society of Edinburgh. 2. スコットランド気象協会 (Scottish Meteorological Society) , 1874年1月. 山尾代理として、日本の気象観測創始のための協力支援を受ける協定結んだ。 3. 近衛アーチャー隊 (Royal Company of Archers) , Queen’s Body Guard for Scotland, 1873年. 4. 王立地理学協会 (Royal Geographical Society) , 1874年.

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