総武鉄道とは? わかりやすく解説

総武

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 15:00 UTC 版)

総武(そうぶ)




「総武」の続きの解説一覧

総武鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 21:41 UTC 版)

国鉄400形蒸気機関車」の記事における「総武鉄道」の解説

総武鉄道は以下の通りナスミス・ウィルソン製の13両を1形として導入した1893年(2両) - 1, 2号機(製造番号446, 4471894年(2両) - 3, 5号機(製造番号448, 457) 1896年(6両) - 6 - 11号機(製造番号472 - 4771904年(3両) - 22 - 24号機(製造番号694 - 696) このほか、1898年房総鉄道から1895年製の3形3号機譲受して1形4II号機としたほか、尾西鉄道1898年に3両発注したもの(製造番号528 - 530)のうち1両が竣工前に総武鉄道に譲渡され1899年に総武鉄道15号機となった国有鉄道法に基づく1906年の総武鉄道の買収によりこれら15両が国有化された。一方で1901年に1両(製造番号615)が発注されたが竣工前に西成鉄道譲渡されて1II号機となり、さらにその後1903年北海道鉄道B2形5号機となった

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総武鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 06:23 UTC 版)

国鉄1200形蒸気機関車」の記事における「総武鉄道」の解説

総武鉄道に導入されたのは、製造番号499, 500の2両である。この2両は関東鉄道注文したものであったが、結局未成終わり、その注文流れ品を総武鉄道が引き取ったのである。総武鉄道では、2形(12, 13となったが、製造番号とは逆順付番されている。1907年鉄道国有法により買収され国有鉄道となった12製造番号500 13製造番号499

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総武鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:15 UTC 版)

総武本線」の記事における「総武鉄道」の解説

上述経験から、競願不利益さを悟った両社発起人合併協議し発起人利根川水運株主であった県会議長池田栄亮などの有力者加え1889年明治22年1月総武鉄道株式会社創立した会社名称は上総国かずさのくに)・下総国しもうさのくに)と武蔵国を結ぶことに因む。総武鉄道は翌2月に再願を申請した。この時の出願では、利根運河との競合避けとともに陸軍支持得られるように国府台津田沼佐倉等の軍営所在地を通る以下のルート採用し、その使命に「軍事輸送政府開墾地への輸送」を掲げていた。 1889年明治22年1月申請された計画ルート 総武鉄道株式会社本所 - 市川 - 船橋 - 千葉 - 佐倉 - 八街 総武鉄道の狙いどおり「陸軍営所通過し用兵上にも便利である」とする陸軍省意見決め手となり、1889年明治22年4月仮免状下付され同年12月小岩 - 佐倉間の免許状降りた。ただし、計画一部変更などにより、工事着手1893年明治26年8月となる。なお、1892年明治25年)に公布され鉄道敷設法で「東京府下上野ヨリ千葉県千葉佐倉ヲ経テ銚子ニ至ル鉄道本線ヨリ分岐シテ木更津ニ至ル鉄道」が将来建設されるべき鉄道として指定された。このころになるとルート候補地となった各地域様々な鉄道誘致運動が行われるようになる。なお、千葉県各所船橋千葉佐倉芝山飯岡茂原流山等)で鉄道反対運動が行われたとの言説市町村史小学校副読本などで取り上げられることがあるが、当時文献記録にこれらを裏付けるものはなく、単なる鉄道忌避伝説であるとされる1894年明治27年7月20日市川駅 - 佐倉駅間が開業し千葉県内初の鉄道となる。直後8月1日日清両国宣戦布告がなされ、早速日清戦争での兵員輸送活用された。同年12月9日には江戸川越えて本所現在の錦糸町)に達した。総武鉄道は、1897年明治30年5月1日成東まで、同年6月1日には銚子まで延伸され、佐倉駅成田鉄道との連絡実現する両国橋から都心部への延伸1899年明治33年)に本所 - 秋葉原間の免許を得、1904年明治37年)に両国橋現在の両国)まで延伸され、ここを都心側のターミナルとした。両国橋駅利用する旅客はすでに開業していた路面電車(のちの都電)に乗り継いだ。なお、この当時貨物扱い両国行いここから隅田川などの舟運利用して物資東京市内へと運ばれた。 1907年明治40年)、鉄道国有法により買収国有化され官設鉄道総武本線となった

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