沼隈郡誌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 02:53 UTC 版)
1923年(大正12年)に編纂された沼隈郡誌では以下のような記載がある。 津之郷村俄山越えの南谷にあり、伝へいふ往古一人の山伏女を此山中に斬り、其刀を此谷水で洗ふ、里人その惨虐を悪み、多勢にて追詰め、石こづめにして埋殺しぬ、是を山伏塚と云ふ。また外に女郎塚もあり。其太刀を洗ひし谷川の水を呑むに、忽ち(たちまち)腹痛を起し、里人飲用水に苦しむ。其比空海上人草戸(現在の福山市草戸町)に止錫し此事を聞き歩を抂けて當村に来り。此峠に登り杖にて巌石を打ち加持し玉ふに霊泉涔々として湧出す。上人里人に教へて曰く、大刀洗の水に腹痛を起す時は此の泉の水を呑むべし。必ず其災を免れんと。以来此水を稱して弘法水と呼びしが、大正8年頃より誰言ふとなく弘法水の利益各地に宣伝され、俄に詣人踵を接して四時絡繹絶えず、お堂建ち籠堂建ち、露店出て、繁賑を極むに至る、分析の結果ラジュウム含有水なること判明せり。 — 沼隈郡誌 p75-76 俄山ラジウム泉 大正時代にお堂や籠り堂(宿泊所)が建てられ、露店がでるほど賑わっていた様子が伺える。また女郎塚と山伏塚は別に存在することが記されている。また「沼隈郡誌」のp76-77には、2種類の弘法水が内務省大阪衛生試験所に送られ、それぞれ2.38マッヘ、4.16マッヘの放射能を持つラドン泉水であるという分析結果を得たことが記載されている。
※この「沼隈郡誌」の解説は、「俄山弘法大師堂」の解説の一部です。
「沼隈郡誌」を含む「俄山弘法大師堂」の記事については、「俄山弘法大師堂」の概要を参照ください。
- 沼隈郡誌のページへのリンク