大正・昭和戦前期の「学校令」とは? わかりやすく解説

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大正・昭和戦前期の「学校令」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 15:42 UTC 版)

学校令」の記事における「大正・昭和戦前期の「学校令」」の解説

大正時代には中橋徳五郎文相の下での「高等教育拡充計画」を背景に、1918年12月公布され2つの「学校令」により、明治後期以降続いていた高等教育制度混乱終止符打たれた。すなわち一つ高等学校令全部改正第二次高等学校令)であり、大学進学課程高等科としての高等学校性格明確化された。もう一つ大学令では、帝国大学以外の大学、すなわち官立単科大学公立大学私立大学設立容認された。以降数多く官・公私立専門学校大学昇格運動展開し大学令準拠の(旧制大学への改編達成した。これらの結果それまで言論界教育界騒がせてきた「学制改革論議には一定の決着与えられ戦前期日本における高等教育制度の確立を見るに至った当該期にまた、幼稚園令1923年)および盲学校及聾唖学校令1926年)によって、それまで公教育体系外部位置づけられていた就学前(幼児教育障害者教育初め制度化されるに至った昭和期1930年代後半には、戦時色濃厚となった時局背景戦時動員のための学校制度改革進行した。まず軍事教育の必要上、従来中等以降学校教育からドロップアウトしていた農村勤労青年対象とする社会教育制度化進められ1935年10月青年学校令として公布された。続いて第二次世界大戦開始後の1943年1月には、中学校高等女学校実業学校旧制中等学校として包括する中等学校令公布され職業教育を行う実業学校中等学校としての位置づけ明確化され、戦後新制職業科)高等学校接続する側面見られた。さらに同年3月師範教育令全部改正第二次師範教育令)により、師範学校官立専門学校同程度地位昇格した

※この「大正・昭和戦前期の「学校令」」の解説は、「学校令」の解説の一部です。
「大正・昭和戦前期の「学校令」」を含む「学校令」の記事については、「学校令」の概要を参照ください。

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