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志賀健次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/09 15:01 UTC 版)

志賀 健次郎
しが けんじろう
1962年7月18日、防衛庁にて
生年月日 1903年明治36年)12月10日
出生地 日本 岩手県東磐井郡大原町
(現一関市)
没年月日 (1994-09-28) 1994年9月28日(90歳没)
死没地 日本 東京都
出身校 岩手県立一関中学校
早稲田大学政治経済学部政治学科卒
前職 朝日新聞記者
所属政党 民主党→)
改進党→)
日本民主党→)
自由民主党)
称号 従三位
勲一等瑞宝章
第15代 防衛庁長官
内閣 第2次池田内閣 (第2次改造)
在任期間 1962年7月18日 - 1963年7月18日
選挙区 旧岩手2区
当選回数 9回
在任期間 1947年 - 1969年
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志賀 健次郎(しが けんじろう、1903年明治36年)12月10日[1] - 1994年平成6年)9月28日[1])は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。

防衛庁長官第15代)、衆議院議員(9期)を務めた[2]

経歴

岩手県東磐井郡大原町(のちの大東町一関市)出身[3]岩手県立一関中学校を経て、1931年(昭和6年)早稲田大学政治経済学部政治学科卒[1]朝日新聞記者を経て、1941年大日本産業報国会参事、1942年に翼賛選挙に非推薦で立候補し敗れる[要出典]1947年総選挙で初当選(当選同期に田中角栄鈴木善幸中曽根康弘など)[3]保守合同後も有田喜一荒木万寿夫小島徹三らと芦田均派を維持するが、芦田の死後は三木武夫派に加入。1962年(昭和37年)7月18日第2次池田内閣で防衛庁長官に就任[4]。その後、1969年総選挙で落選し、政界から引退した。

1974年4月の春の叙勲で勲一等瑞宝章を受章する。

1994年9月28日、死去。90歳没。同年10月4日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従三位に叙された[5]

親族

妻は、岩手県出身かつ宇都宮市で初の女医、志賀ミヱの長女美子で、一男一女をもうけた。美子は結核で34歳で死去し、子どもたちはミヱに預けられた[6]

脚注

  1. ^ a b c d e 日外アソシエーツ 2003, 295頁.
  2. ^ 志賀 健次郎”. コトバンク. 2023年8月16日閲覧。
  3. ^ a b c 大東町 2005, p. 999.
  4. ^ 大東町 2005, p. 998.
  5. ^ 『官報』第1504号7頁 平成6年10月14日
  6. ^ 『祖母、私の明治』志賀かう子 1982年発行

参考文献

  • 日外アソシエーツ 編『政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 4816918051 
  • 大東町 編『大東町史 下巻』大東町、2005年9月。 

関連項目

公職
先代
藤枝泉介
防衛庁長官
第15代:1962年 - 1963年
次代
福田篤泰
議会
先代
中村庸一郎
衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 次代
小沢佐重喜



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