粟山ひでとは? わかりやすく解説

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粟山ひで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 03:55 UTC 版)

粟山ひで
もみやま ひで
生年月日 1907年12月13日
出生地 日本 北海道空知郡歌志内町
没年月日 (1996-05-18) 1996年5月18日(88歳没)
出身校 日本女子大学
前職 国会議員秘書
所属政党 自由民主党
称号 正四位
勲二等宝冠章
親族 義父・粟山博(衆議院議員)
弟・粟山明(衆議院議員)
選挙区 旧福島1区
当選回数 4回
在任期間 1963年11月21日 - 1976年12月9日
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粟山 ひで粟山 秀[1]、もみやま ひで、1907年12月13日[2][3] - 1996年5月18日[3])は、日本の政治家自由民主党衆議院議員(4期)。衆議院議員を務めた粟山博は義父、同じく衆議院議員を務めた粟山明は弟。

来歴

1963年12月11日、衆参婦人議員懇談会が参議院の議長公邸で開かれた[4]。前列左から、粟山ひで、戸叶里子本島百合子山口シヅエ。後列左から、林塩千葉千代世中上川アキ市川房枝藤原道子加藤シヅエ

北海道[3]空知郡歌志内町(現・歌志内市)出身[2][注釈 1]。生家は内科医であった[5]。10歳の時、伊達郡桑折町に移る[5]。福島県立福島高等女学校(現:福島県立橘高等学校)卒業後[6]日本女子大学で学ぶ[6]。その後は義父の粟山博の秘書を務める[6]1959年義父が死去。

1960年第29回衆議院議員総選挙福島1区から自民党公認で立候補するが、次点に終わる[7]。次の1963年第30回衆議院議員総選挙で立候補して初当選し、以来連続4期務める[3]。この間厚生政務次官、科学技術政務次官、衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長などを歴任し[3][6]、党内では総務、婦人局長、全国組織委員会副委員長などを務めた[6]

1976年第34回衆議院議員総選挙には立候補せず、地盤を弟の明に譲った。1978年4月の春の叙勲勲二等に叙され、宝冠章を受章する[8]

1996年5月18日、死去。88歳没。同年6月9日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって正四位に叙された[1]

脚注

注釈

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』647頁では出身地を「福島県」と記載。

出典

  1. ^ a b 『官報』第1918号12頁 平成8年6月21日
  2. ^ a b 『福島県名士録』540頁。
  3. ^ a b c d e 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』621頁。
  4. ^ 『月刊婦人展望』1964年1月号、財団法人婦選会館出版部、2頁。
  5. ^ a b 『郷土の沿革と人脈』福島県知事福島県選出国会議員の部、5頁。
  6. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』647頁。
  7. ^ 『朝日選挙大観』459頁。
  8. ^ 『官報』号外第34号4頁 昭和53年5月2日

参考文献

  • 『福島県名士録』福島民友新聞社、1966年。
  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
  • 地方人事調査会編集部編『郷土の沿革と人脈』株式会社地方人事調査会、1974年。
議会
先代
小沢太郎
衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 次代
丹羽喬四郎



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