萱野長修
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萱野 長修(かやの ながはる)は、江戸時代末期(幕末)の会津藩家老。戊辰戦争に敗れた会津藩の責任者として処刑された。通称は権兵衛(ごんのひょうえ)[* 1]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 『会津白虎隊のすべて』「萱野権兵衛父子の自刃」
- ^ 『慶應年間会津藩士人名録』勉強堂書店
- ^ a b 『明治維新人名辞典』297頁
- ^ 朝報掲要 1868.
- ^ 陸軍省大日記. “5月18日 保科弾正忠 松平容保家来叛逆首謀萱野権兵衛刎首の件”. アジア歴史資料センター. 2013年6月23日閲覧。(Ref.C09080101200 明治元年5月 諸願窺届留 波11(防衛省防衛研究所))
- ^ 会津若松観光物産協会. “天寧寺・近藤勇の墓”. 2013年6月23日閲覧。
- ^ a b c 『保科正之公傅』102-103頁
- ^ 裁判官任命諮問委員会について(審議会事務局)
- ^ 杉山正樹『郡虎彦-その夢と生涯』岩波書店、1987年。16頁
- ^ 人事興信録 第15版 下、1948、「三淵忠彦」
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