会津藩伝とは? わかりやすく解説

会津藩伝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 07:29 UTC 版)

小野派一刀流」の記事における「会津藩伝」の解説

会津藩系の小野派一刀流。これは幕末会津藩奥医師息子であった渋谷東馬から明治2年武田惣角(後に大東流名乗る)、惣角から山本角義伝わった系統指しているものである渋谷東馬の師の名前は未だ明らかになっていないが、木刀稽古重視していた。 調査結果渋谷東馬の師は一刀流小野十三大竹学兵衛、武田惣角明治3年小野派一刀流養気館で師範代武田善十郎学んだ戊辰戦争後新政府監視厳しく渋谷剣術教えていないが、写真公開された。武田善十郎坂下警察署師範代兼務仙台小野派一刀流一条直と交流があった。明治8年柳津円蔵寺小野派一刀流渋谷東馬貞保門徒106名)奉納額旧姓竹田宗角(明治5年戸籍から武田姓、農民)とある。武田惣角関係した養気館門下長尾清吾は、隣の塩川町太子流剣術渋川流柔術道場開き義弟池上源次郎一刀流溝口派の伝承者目録持っていた。『合気武田惣角』(歴史春秋社池月映より。 また、武田惣角は、独自の剣術撃剣技術主体教えていたという伝承がある半面、「惣角伝」という伝承剣術組太刀伝え系統もある。武田門下剣術体系的に学んだ者は極めて少ない。大東流合気柔術師範修行者中には小野派一刀流大東流技術大きな影響与えた可能性重視して笹森門下参じ津軽小野派一刀流学んでいる人物存在する山本角義山本角義北海道苫小牧市道場及び「松緑神道大和山」の道場等を拠点として教授した系統。 旧柔進館宣布会柔進館 2.二代長尾全祐直系 1.宗主長尾全祐直門 富士神刀柔進会/静岡県富士市 2.種村恒久匠刀・種村恒太郎岡安嘉一(玄武館世界忍法武芸連盟・国柔術連盟総本部

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会津藩伝

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溝口派一刀流」の記事における「会津藩伝」の解説

会津藩一刀流溝口派は御留流秘密流派であったため、その存在長く公にされなかった。戊辰戦争多く伝承者が命を失い、失伝した技も多い。戊辰戦争後残った伝承者や技も、第二次世界大戦でさらに多く失われた。現在残っている系統は、会津藩家老萱野長修から井深宅右衛門伝授され井深宅右衛門から和田又四郎その子和田晋受け継がれたものである。 和田晋は父から一刀流溝口派に伝承される7つ組太刀(払捨刀、真の真剣、真の本覚、真右足左足真之妙剣、夢想剣、左右転化出身)を幼少の頃授けられたが、他見他言無用という掟に従い秘密にしてきた。しかし、一刀流溝口派が完全に失われることを憂い1968年昭和43年)に第14回全日本東西対抗剣道大会で公開した仕太刀和田晋打太刀好川忠)。公開時覚えていたのは唯一左右転化出身之秘太刀だけであり、他は失伝してしまった。 福島県会津若松市剣道高段者を中心に伝承され、現在は日本古武道協会にも加盟している(代表:長沼悟詮)。記録映像としては全日本剣道連盟撮影した8ミリ映画会津若松市役所撮影した16ミリ映画がある。文章化したものに『一刀流溝口左右転化出身太刀』(好川忠)がある。

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