主な伝承者とは? わかりやすく解説

主な伝承者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:59 UTC 版)

大東流合気柔術」の記事における「主な伝承者」の解説

大東流合気柔術伝承武田惣角から日本各地広まっている。 武田時宗 19161993元名、宗三郎武田惣角三男北海道警察にて刑事として勤務し退官後は山田水産勤務する同社定年退職後大東流合気武道宗家称し北海道網走市にて大東道場開設し大東流合気武道教授する弘前藩伝の小野派一刀流導入し武田惣角剣技再現しようとした。また、種々の技に名前を付け新たに五箇条に再分類行い体系的に分類した弟子佐野雄(北見市)、加藤茂光(網走市)、近藤勝之東京都)、武田宗光(会津坂下町)らがいる。 久琢磨 1895~1980鈴木商店勤務後、大阪朝日新聞社再就職する。大阪朝日新聞社勤務時にほか数名と共に右翼対策として、植芝盛平および後に武田惣角より大東流合気柔術学び免許皆伝授けられるまた、植芝盛平武田惣角から伝えられ技法写真記録した大阪府内関西合気道倶楽部組織し朝日新聞大阪本社竹中工務店大阪ガス等で大東流教授するまた、宗家武田時宗要請により大東道場本部長にも就任した。後に久琢磨門人達は琢磨会を組織している。弟子恕、大神謙吉、宇佐見清道らがいる。 佐川幸義 1902~1998。第36大東流合気武術宗家昭和7年教授代理昭和13年5月免許皆伝昭和14年9月正統総伝。大東流においては初め宗家称し後に宗家武田時宗譲位後大東流合気武術宗範を称する一時期、「佐川大東流」、「正伝大東流」とも称した)。東京都小平市において佐川道場開設し大東流教授する武田惣角合気剣術教わり独自の工夫加えた。それとは別に甲源一刀流剣術関口流柔術大島流槍術修行しており、甲源一刀流合気理合再編した独自の剣技合気甲源一刀流剣術編み出した。(門人には大東流合気剣術合気甲源一刀流剣術両方教授したまた、合気拳法考案した佐川幸義没後門人達は佐川大東流合気武術組織している。 堀川幸道 1894~1980本名幸太郎教師として北海道各地勤務しながら大東流合気柔術教授する。後に北海道北見市にて幸道会組織する弟子息子堀川剛道(室蘭)の他、幸道会総本部長継いだ井上祐助新保建雄、六方会の岡本正剛愛知県滝口雄二、光道の錦戸武夫牧羊館の米澤克己らがいる。また、1938年旧制第一高等学校東京大学撃剣部員大東流短期間指導した中に石田和外(後の一刀正伝無刀流宝蔵院流高田派宗家)がいた。公立学校教員本業としていた関係から非常に達筆文盲の惣角の代り免状巻物代筆をしていた。1974年9月 石田和外(元最高裁長官の提唱により、町村金五(元自治大臣)ら8名の連名大東流合気柔術永世名人位が贈られた。武田惣角からは主に合気の技を、父(堀川泰宗:武田惣角北海道における大東流普及最初期人物)からは大東流合気柔術全般伝授される。なお、堀川幸道最初期弟子3羽烏(内地有名な岡本正剛兄弟子達)は、堀川剛(剛道(現室蘭))・西川道徳(中湧)・吉田隆(現札幌)がいる。 吉田幸太郎 1883~1966。植芝盛平武田惣角紹介した武田惣角から代理教授許されている。弟子極真空手創始者大山倍達ハプキド創始者の崔龍述 (吉田朝男)、在米空手家のリチャード・キムや地曳秀峰近藤勝之らがいる。晩年半身不随のため茨城県日立市移住し少数弟子教授行った。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}家伝柳流合気武芸伝えた。[要出典][要ページ番号] 植芝盛平 和歌山県田辺出身合気道創始する。大東流巻物発行授与した弟子望月稔富木謙治塩田剛三らがいる。大阪朝日新聞社道場において久琢磨らに大東流を旭流柔術として教授をした。合気剣術一部学んだが、戦後鹿島新当流をもとに新たに合気剣」を編み出した細野恒次郎(つねじろう) 東京都江戸川区小岩に振栄館道場開き大東流教授する立山一郎合氣之術に拠れば合気4段奥義皆伝弟子地曳秀峰八光流柔術中国武術家)、近藤勝之らがいる。 松田敏美 1895年ごろ~不明本名豊作北海道旭川市にて武館道場開設して大東流合気柔術教授する弟子には群馬県大間々町に練心館道場開き大東流合気柔術教授した前田武、北海道帯広市元信道場にて教授する宝田元信、他に八光流柔術開祖奥山龍峰 (後に武田にも師事) や、導引術で有名な道家合気術(道家動功術) の早島正雄などがいる。 山本角義 本名留吉大東流合気柔術総主を称する戦後北海道苫小牧市にて柔進館道場開設し大東流合気柔術教授し苫小牧警察署逮捕術教官務める。また独自に居合研究し無限神刀流居合術創始する。武田惣角印可した最後教授代理で、死の直前の惣角から合気口伝授かったとされる須藤一刀斎が総主を継承している。 佐藤完實 1868年 ~ ? 武田惣角最初期門人で、1905年明治38年時点で大東流合気柔術七年修行しており秘伝奥義目録得て教授代理となっていた。また神道六合流野口清野口潜龍軒)から学んでおり帝国尚武会宮城県支部長務めた大東流合気柔術神道六合流より女子護身術創始した。 以下の記載者武田惣角孫弟子以降伝承者 近藤勝之 1945年現役武田時宗門人。はじめ細野恒次郎に次いで吉田幸太郎兄弟子地曳秀峰(八光流皆伝師範)に、後稀に北海道へ足を運んだり、武田時宗東京へ招いたりして、大東流柔術のみ学ぶ。1988年宗家代理免許皆伝(合気技は別、武田時宗病床時)。のちに大東流合気柔術本部長総務長に。但し大東流合気柔術流派全体本部長総務と言う意味合いではなく、旧大東館系の眞武道場大東流会派内の本部長総務長である。 武田宗光 1955年ごろ~現役武田時宗門人武田惣角玄孫武田惣角長男武田宗清曾孫)。武田氏父祖伝来地福島県河沼郡会津坂下町農業営みつつ、各地大東流合気柔術指導当たっている。初めに会津坂下町武田家伝承され武術祖父から学び、後に武田時宗教え受けた武田惣角の四男も武田宗光であるが、別人1977年武田時宗大東館の支部として福島県での活動開始したが、大東瓦解後、会津坂下本部として独自の活動開始し福島県新潟県東京都など8カ所に支部開いている。門下生からは宗家呼ばれる1931年2021久琢磨門人1962年から久琢磨大東流を学ぶ。1965年教授代理1975年琢磨会の結成時、総務長に就任2020年まで総務長を務めた弁護士業務傍ら大東流指導した大神謙吉 1939年現役久琢磨門人1961年から久琢磨大東流を学ぶ。1968年兵庫県西宮市道場大武館を開く。創設期琢磨会にも参加していたが後に脱退大東流以外にも空手道修行し空手拳法対応できる技法工夫している。 小林清1942年5月20日現役1961年10月関西合気道倶楽部入門1962年桃山学院大学合気道部創部久琢磨から大東流合気会小林裕和師範から合気道を学ぶ。1963年学生連れ大東流合気武道本部大東館で合宿武田時宗宗家指導を受ける。以後宗家来阪の折に指導を受ける。1970年久琢磨より教授代理允可1973年大東流合気柔術8段允可久琢磨兄弟弟子にあたる中津平三郎大阪朝日新聞社)の弟子である千葉紹隆師範蒔田完一師範師事久琢磨紹介植芝盛平塩田剛三のもとで稽古朝日カルチャーセンター合気道講師務める。1975年琢磨結成時幹事長に就任2016年9月琢磨会が一般財団法人化し、理事就任している。尼崎芦屋東京大東流指導している。 岡本正剛 1925年2015年堀川幸道門人大東流合気柔術六方会宗師を称する。師の堀川幸道没後東京において六方会を主催する岡本正剛それまで神秘ベール包まれ実態のよく知られていなかった大東流合気柔術書籍ビデオ早い段階から積極的に発表し堀川幸道系の大東流技術広く公開した。そのため一部保守的な大東流師範からは反発受けた長尾全祐 1938年現役山本角義門人昭和45年1970年8月山本角義道場入門し昭和52年1977年3月3日無限神刀流居合術教授代理許され昭和56年1981年3月3日大東流合氣柔術教授代理免許皆伝及び総主)を賜り長尾一刀齋全祐または長尾一刀齋角全と称す佐藤金兵衛 1925年1999年柔術家中国武術家八光流柔術合気道柳生心眼流など様々な柔術習っていたが、昭和32年1957年3月武田惣角最後弟子である山本角義面識を得、山本角義東京自宅招聘して大東流を学ぶ。山本角義から大東流合氣柔術教授代理及び皆伝授けられ昭和23年1948年奥山竜峰に師事し八光流柔術会得し昭和24年1949年植芝盛平師事し合気道(及び大東流)を学んだ。後に諸流合わせ大和道創始種村匠刀 (本名恒久1947年現役古武道家。平成13年2001年5月6日長尾全祐に初め会い手解き受けて以来門人となり,平成15年2003年11月27日大東流合氣柔術及び無限神刀流居合術教授代理並びに免許皆伝許された。平成22年2010年12月6日会津藩伝小野派一刀流剣術教授代理許された。佐藤金兵衛平成元年1989年)から師事し大東流118ヶ条を始め御信用之手などの皆伝技及び猫手の伝・小僧泣かせ舟底八方投などの秘技についても丁寧かつ厳格な別個教授受けた 滝口雄二 1945年現役合気柔術家、空手家始め早島正雄に、後堀川幸道北見市時代門人愛知県在住宝田元信 1931年現役旭川市出身松田敏美の門人1951年免許皆伝大東流柔術秘伝目録秘伝奥儀之事の2巻巻物伝授される1959年帯広市元信道場開設2009年閉館弟子斉藤裕司(悠信館)らがおり、2巻伝授巻は帯広市にて継承されている。 蒔田修大 1949年現役北海道出身堀川幸道門下で、堀川幸道没後井上祐助(幸道会元総本部長)に師事し平成10年には師範認可される平成14年、幸道会東京本部長就任平成16年に幸道会から独立後は、東京都板橋区心技清榮館設立し大東流合気柔術とともに居合心剣柔術教授する磯部力1962年現役長尾全祐の門人愛知県在住無限神刀流居合術及び大東流合氣柔術並びに会津藩伝小野派一刀流剣術教授代理賜り磯部一刀齋力夫と称す愛知県東部にて大東流無限神刀流居合術教授

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