主な伝承者
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大東流合気柔術の伝承は武田惣角から日本各地に広まっている。 武田時宗 1916~1993。元名、宗三郎。武田惣角の三男。北海道警察にて刑事として勤務し退官後は山田水産に勤務する。同社を定年退職後、大東流合気武道宗家を称し北海道網走市にて大東館道場を開設し大東流合気武道を教授する。弘前藩伝の小野派一刀流を導入し、武田惣角の剣技を再現しようとした。また、種々の技に名前を付け新たに五箇条に再分類を行い体系的に分類した。弟子に佐野松雄(北見市)、加藤茂光(網走市)、近藤勝之(東京都)、武田宗光(会津坂下町)らがいる。 久琢磨 1895~1980。鈴木商店勤務後、大阪朝日新聞社に再就職する。大阪朝日新聞社勤務時にほか数名と共に右翼対策として、植芝盛平および後に武田惣角より大東流合気柔術を学び免許皆伝を授けられる。また、植芝盛平と武田惣角から伝えられた技法を写真で記録した。大阪府内に関西合気道倶楽部を組織し、朝日新聞大阪本社、竹中工務店、大阪ガス等で大東流を教授する。また、宗家・武田時宗の要請により大東館道場の本部長にも就任した。後に久琢磨の門人達は琢磨会を組織している。弟子に森恕、大神謙吉、宇佐見清道らがいる。 佐川幸義 1902~1998。第36代大東流合気武術宗家。昭和7年教授代理、昭和13年5月免許皆伝、昭和14年9月正統総伝。大東流においては初めて宗家を称し後に宗家を武田時宗に譲位後は大東流合気武術宗範を称する(一時期、「佐川派大東流」、「正伝大東流」とも称した)。東京都小平市において佐川道場を開設し大東流を教授する。武田惣角に合気剣術も教わり独自の工夫を加えた。それとは別に甲源一刀流剣術、関口流柔術、大島流槍術も修行しており、甲源一刀流を合気の理合で再編した独自の剣技・合気甲源一刀流剣術も編み出した。(門人には大東流合気剣術と合気甲源一刀流剣術の両方を教授した)また、合気拳法も考案した。佐川幸義の没後、門人達は佐川伝大東流合気武術を組織している。 堀川幸道 1894~1980。本名、幸太郎。教師として北海道各地で勤務しながら大東流合気柔術を教授する。後に北海道北見市にて幸道会を組織する。弟子に息子の堀川剛道(室蘭)の他、幸道会総本部長を継いだ井上祐助、新保建雄、六方会の岡本正剛、愛知県滝口雄二、光道の錦戸武夫、牧羊館の米澤克己らがいる。また、1938年に旧制第一高等学校現東京大学の撃剣部員に大東流を短期間指導した中に石田和外(後の一刀正伝無刀流・宝蔵院流高田派宗家)がいた。公立学校の教員を本業としていた関係から非常に達筆で文盲の惣角の代りに免状や巻物の代筆をしていた。1974年9月 石田和外(元最高裁判長官)の提唱により、町村金五(元自治大臣)ら8名の連名で大東流合気柔術永世名人位が贈られた。武田惣角からは主に合気の技を、父(堀川泰宗:武田惣角の北海道における大東流普及の最初期の人物)からは大東流合気柔術全般を伝授される。なお、堀川幸道最初期の弟子3羽烏(内地で有名な岡本正剛の兄弟子達)は、堀川剛(剛道(現室蘭))・西川道徳(中湧)・吉田隆(現札幌)がいる。 吉田幸太郎 1883~1966。植芝盛平を武田惣角に紹介した。武田惣角から代理教授を許されている。弟子に極真空手創始者の大山倍達、ハプキド創始者の崔龍述 (吉田朝男)、在米空手家のリチャード・キムや地曳秀峰、近藤勝之らがいる。晩年は半身不随のため茨城県日立市に移住し少数の弟子に教授を行った。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}家伝の柳流合気武芸も伝えた。[要出典][要ページ番号] 植芝盛平 和歌山県田辺出身。合気道を創始する。大東流の巻物を発行授与した弟子に望月稔、富木謙治、塩田剛三らがいる。大阪朝日新聞社の道場において久琢磨らに大東流を旭流柔術として教授をした。合気剣術も一部学んだが、戦後、鹿島新当流をもとに新たに「合気剣」を編み出した。 細野恒次郎(つねじろう) 東京都江戸川区小岩に振栄館道場を開き大東流を教授する。立山一郎著合氣之術に拠れば合気術4段、奥義皆伝。弟子に地曳秀峰(八光流柔術・中国武術家)、近藤勝之らがいる。 松田敏美 1895年ごろ~不明。本名、豊作。北海道旭川市にて松武館道場を開設して大東流合気柔術を教授する。弟子には群馬県大間々町に練心館道場を開き大東流合気柔術を教授した前田武、北海道帯広市の元信館道場にて教授する宝田元信、他に八光流柔術開祖の奥山龍峰 (後に武田にも師事) や、導引術で有名な道家合気術(道家動功術) の早島正雄などがいる。 山本角義 本名、留吉。大東流合気柔術総主を称する。戦後、北海道苫小牧市にて柔進館道場を開設し大東流合気柔術を教授し、苫小牧警察署で逮捕術の教官も務める。また独自に居合を研究し無限神刀流居合術を創始する。武田惣角の印可した最後の教授代理で、死の直前の惣角から合気の口伝を授かったとされる。須藤一刀斎が総主を継承している。 佐藤完實 1868年 ~ ? 武田惣角の最初期の門人で、1905年(明治38)年時点で大東流合気柔術を七年修行しており秘伝奥義の目録を得て教授代理となっていた。また神道六合流を野口清(野口潜龍軒)から学んでおり帝国尚武会宮城県支部長を務めた。大東流合気柔術と神道六合流より女子護身術を創始した。 以下の記載者は武田惣角の孫弟子以降の伝承者 近藤勝之 1945年~現役。武田時宗の門人。はじめ細野恒次郎に次いで吉田幸太郎と兄弟子の地曳秀峰(八光流皆伝師範)に、後稀に北海道へ足を運んだり、武田時宗を東京へ招いたりして、大東流の柔術のみ学ぶ。1988年に宗家代理、免許皆伝(合気技は別、武田時宗の病床時)。のちに大東流合気柔術本部長・総務長に。但し大東流合気柔術の流派全体の本部長、総務長と言う意味合いではなく、旧大東館系の眞武館道場系大東流会派内の本部長、総務長である。 武田宗光 1955年ごろ~現役。武田時宗の門人。武田惣角の玄孫(武田惣角の長男武田宗清の曾孫)。武田氏父祖伝来の地福島県河沼郡会津坂下町で農業を営みつつ、各地で大東流合気柔術の指導に当たっている。初めに会津坂下町の武田家に伝承された武術を祖父から学び、後に武田時宗の教えを受けた。武田惣角の四男も武田宗光であるが、別人。1977年に武田時宗の大東館の支部として福島県での活動を開始したが、大東館瓦解後、会津坂下を本部として独自の活動を開始し、福島県や新潟県、東京都など8カ所に支部を開いている。門下生からは宗家と呼ばれる。 森恕 1931年~2021。久琢磨の門人。1962年から久琢磨に大東流を学ぶ。1965年に教授代理。1975年の琢磨会の結成時、総務長に就任、2020年まで総務長を務めた。弁護士の業務の傍ら、大東流を指導した。 大神謙吉 1939年~現役。久琢磨の門人。1961年から久琢磨に大東流を学ぶ。1968年に兵庫県西宮市に道場・大武館を開く。創設期の琢磨会にも参加していたが後に脱退。大東流以外にも空手道も修行し、空手・拳法に対応できる技法を工夫している。 小林清泰 1942年5月20日~現役。1961年10月に関西合気道倶楽部に入門。1962年に桃山学院大学で合気道部を創部。久琢磨から大東流、合気会の小林裕和師範から合気道を学ぶ。1963年に学生を連れ大東流合気武道本部大東館で合宿、武田時宗宗家の指導を受ける。以後、宗家来阪の折に指導を受ける。1970年に久琢磨より教授代理允可。1973年に大東流合気柔術8段允可。久琢磨の兄弟弟子にあたる中津平三郎(大阪朝日新聞社)の弟子である千葉紹隆師範、蒔田完一師範に師事。久琢磨の紹介で植芝盛平、塩田剛三のもとで稽古。朝日カルチャーセンターの合気道講師を務める。1975年の琢磨会結成時、幹事長に就任。2016年9月に琢磨会が一般財団法人化し、理事に就任している。尼崎、芦屋、東京で大東流を指導している。 岡本正剛 1925年~ 2015年。堀川幸道の門人。大東流合気柔術六方会宗師を称する。師の堀川幸道没後、東京において六方会を主催する。岡本正剛はそれまで神秘のベールに包まれ実態のよく知られていなかった大東流合気柔術の書籍やビデオを早い段階から積極的に発表し、堀川幸道系の大東流の技術を広く公開した。そのため一部の保守的な大東流師範からは反発を受けた。 長尾全祐 1938年~現役。山本角義の門人。昭和45年(1970年)8月に山本角義の道場に入門し,昭和52年(1977年)3月3日に無限神刀流居合術の教授代理を許され,昭和56年(1981年)3月3日に大東流合氣柔術教授代理(免許皆伝及び総主)を賜り,長尾一刀齋全祐または長尾一刀齋角全と称す。 佐藤金兵衛 1925年~1999年。柔術家、中国武術家。八光流柔術や合気道、柳生心眼流など様々な柔術を習っていたが、昭和32年(1957年)3月武田惣角最後の弟子である山本角義と面識を得、山本角義を東京の自宅に招聘して大東流を学ぶ。山本角義から大東流合氣柔術の教授代理及び皆伝を授けられ,昭和23年(1948年)奥山竜峰に師事し八光流柔術を会得し、昭和24年(1949年)植芝盛平に師事し合気道(及び大東流)を学んだ。後に諸流を合わせ大和道を創始。 種村匠刀 (本名恒久) 1947年~現役。古武道家。平成13年(2001年)5月6日に長尾全祐に初めて会い、手解きを受けて以来門人となり,平成15年(2003年)11月27日,大東流合氣柔術及び無限神刀流居合術の教授代理並びに免許皆伝を許された。平成22年(2010年)12月6日,会津藩伝小野派一刀流剣術の教授代理も許された。佐藤金兵衛に平成元年(1989年)から師事し,大東流118ヶ条を始め、御信用之手などの皆伝技及び猫手の伝・小僧泣かせ・舟底・八方投などの秘技についても丁寧かつ厳格な特別個人教授を受けた 滝口雄二 1945年~現役。合気柔術家、空手家。始め早島正雄に、後堀川幸道の北見市時代の門人、愛知県在住。 宝田元信 1931年〜現役。旭川市出身。松田敏美の門人。1951年に免許皆伝。大東流柔術秘伝目録と秘伝奥儀之事の2巻の巻物を伝授される。1959年帯広市に元信館道場を開設。2009年閉館。弟子に斉藤裕司(悠信館)らがおり、2巻の伝授巻は帯広市にて継承されている。 蒔田修大 1949年~現役。北海道出身。堀川幸道の門下で、堀川幸道没後は井上祐助(幸道会・元総本部長)に師事し、平成10年には師範を認可される。平成14年、幸道会・東京本部長に就任。平成16年に幸道会から独立後は、東京都板橋区に心技清榮館を設立し、大東流合気柔術とともに居合心剣流柔術を教授する。 磯部力夫 1962年~現役。長尾全祐の門人。愛知県在住。無限神刀流居合術及び大東流合氣柔術並びに会津藩伝継小野派一刀流剣術の教授代理を賜り,磯部一刀齋力夫と称す。愛知県東部にて大東流、無限神刀流居合術を教授。
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