主な伝説とは? わかりやすく解説

主な伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 00:43 UTC 版)

安徳天皇」の記事における「主な伝説」の解説

平家の落人#日本全国の平家の落人伝説」も参照 東北地方 青森県つがる市木造町天皇山には安徳天皇落ち延びたという伝説が残る。 近畿地方 摂津国大阪北東部能勢野間郷に逃れたが、翌年崩御したとする説。侍従左少辨藤原経房(つねふさ、吉田家の祖となり『吉記』を残した同時代権大納言藤原吉田)経房ではない)遺書によれば戦場脱した安徳帝と4人の侍従は「菅家筑紫詣で帰路」と偽り石見伯耆但馬の国府を経て寿永4年源氏年号元暦2年1185年摂津国大阪北東部能勢野間郷に潜幸された。しかし翌年5月17日払暁登霞崩御)され、当地岩崎八幡社祀られた。経房遺書は、文化14年1817年能勢郡出野の経房の子とされる旧家勘兵衛宅の屋根葺き替え時、棟木吊るした黒変した竹筒から発見され建保5年1217年)銘の五千文字程度文書で、壇ノ浦から野間の郷での登霞までが詳細に書かれてある。当時読本作者曲亭馬琴国学者伴信友などは偽作断じたが、文人・木蒹葭堂二代目石居)などは真物とした。経房遺書原本明治33年亡失したとされるが、写本は兼葭堂本宮内庁内閣文庫東京大学本などとして多く存在する能勢野間郷の来見山(くるみやま)山頂安徳天皇御陵墓を残す。経路であった鳥取県岡益の石堂三朝町などにも今も陵墓参考地を残すが、これらは源氏追及惑わすための偽墓とされる中国・四国地方 因幡国逃れて10歳崩御したとする説。壇ノ浦から逃れ因幡国露ノ浦に上陸、岡益にある寺の住職庇護受けた天皇一行はさらに山深い明野辺に遷って行宮築いて隠れ住んだ文治3年荒船山桜見物赴いた帰路、大来見において安徳天皇急病により崩御した。この時建立され安徳天皇墓所岡益の石堂伝えられている。 鳥取県八頭郡八頭町姫路には安徳天皇らが落ち延びたという伝説が残る。天皇付き従った女官などのものとされる五輪塔存在する鳥取県東伯郡三朝町中津には安徳天皇落ち延びたという伝説が残る。 阿波国祖谷山現在の徳島県三好市)に逃れて隠れ住み同地崩御したとする説。平国盛祖谷平定し麻植郡逃れていた安徳帝迎えたという。天皇一行山間を行く際に樹木鬱蒼としていたので鉾を傾けて歩いたということ由来する「鉾伏」、谷を渡る際に切って作ったことに由来する栗枝渡」等、安徳天皇由来すると伝わる地名がある。安徳帝はこの地に隠れ住み16歳崩御し栗枝渡八幡神社境内火葬されたという(『美馬郡誌』)。 徳島県剣山には、安徳天皇天叢雲剣草薙剣)を修めたという伝説がある。神剣奉納により太郎山から現称の「剣山」に変わり山頂剣神社本宮では素戔男尊と安徳天皇祀ったという。 土佐国高岡郡横倉山隠れ住み同地崩御したとする説。平知盛らに奉じられ、松尾山椿山経て横倉山辿り着き同地行在所築いて詩歌蹴鞠興じ妻帯もしたが、正治2年1200年8月23歳崩御。鞠ヶ奈路土葬されたとされる九州地方 現在の福岡県那珂川市に昔から安徳という地名があるが(旧・安徳村)、文献限って言えば落人伝承としてではなく同地安徳台は源平合戦最中現地武将原田種直が帝を迎えたところという。『平家物語』では平家大宰府拠点築こうしたもの庁舎などは戦火消失していたため、帝の仮の行在所を「主上(帝)はそのころ岩戸少卿大蔵種直が宿処にぞましましける」と記述している。 対馬逃げ延び宗氏の祖となったとする説。対馬渡った安徳天皇島津氏の娘との間に儲けた子が宗重尚であるという。 肥前国山田郷にて出家し43歳で死去したとする説。二位尼とともに山田郷に逃れたという。安徳帝出家し、宋に渡り仏法修め帰国後、万寿寺開山して神子和尚となり、承久元年没したという。 薩摩国硫黄島現在の鹿児島県三島村)に逃れたとする説。(『硫黄島大権現御本縁』)平資盛警護され豊後水道南下し硫黄島逃れて黒木御所築いたとされる安徳帝は資盛の娘とされる櫛笥局と結婚して子を儲けたという。同島の長浜家は安徳天皇の子孫を称し、「開けずの箱」というものを所持しており、代々その箱を開くことはなかった。しかし、江戸時代末期島津氏使者来島して箱を検分したが、長浜家にも中身明かさなかった。昭和になって研究家が箱を開けると、預かりおく旨を記した紙が出てきたため中身島津氏によって持ち去られとされる。この箱の中には三種の神器のうち、壇ノ浦の戦い海底沈んだとされる天叢雲剣入っていたのではないかという説もある。ところが、薩摩藩主である島津斉興自筆による『虎巻根本諸作法最口伝規則』という文書鹿児島県歴史資料センター黎明館所蔵玉里島津家文書所収)の中に文政10年1827年硫黄島八咫鏡発見されて斉興によって上山城内に建てられた宮に安置されたと記されていることが判明した上山城現在の城山であるが、現在は宮や安置された鏡の所在不明)。硫黄島には昭和期島民から代々天皇さん」と呼ばれていた長浜豊彦長浜天皇)なる人物がいた。 大隅国牛根麓にて13歳崩御したとする説。硫黄島から移って来た安徳天皇同地没し居世神社祀られているという。

※この「主な伝説」の解説は、「安徳天皇」の解説の一部です。
「主な伝説」を含む「安徳天皇」の記事については、「安徳天皇」の概要を参照ください。

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