澁川流
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渋川流(しぶかわりゅう)は、渋川伴五郎義方(しぶかわばんごろうよしまさ 承応3年(1654年)–宝永初年5月7日(1704年6月8日)[1])が開いた柔術の流派である。系統によって異なるが、柔術以外の居合、剣術、その他の武器術も含む系統もある。
- ^ 加来耕三(朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版; デジタル大辞泉,世界大百科事典 第2版,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版日本国語大辞典言及. “渋川伴五郎(シブカワバンゴロウ)とは”. コトバンク. 2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d 小佐野淳「甲州伝渋川流柔術について」『武道学研究』第24巻第2号、日本武道学会、1991年、9-10頁、doi:10.11214/budo1968.24.2_9、ISSN 0287-9700、2020年4月24日閲覧。
- ^ 飯島唯一 編『日本武術名家傳』飯島唯一、1902年
- ^ 東京都江戸東京博物館 図書室 (2004年7月1日). “江戸時代の男女の平均身長はどれくらいか。”. 国立国会図書館レファレンス協同データベース. 2020年9月7日閲覧。
- ^ 中里 2016, p. 305.
- ^ 景山忠弘、小池謙一『古今大相撲力士事典』国書刊行会、1989年。"大空武左衛門(文政期)あるいは生月鯨太左衛門(天保期)"。
渋川流
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もっとも有名な関口新心流の分派に関口八郎左衛門氏業(1630年-1716年)の高弟、渋川伴五郎がいる。彼は延宝8年(1680年)に皆伝を受けた後、関口氏業の江戸行きに従い、師と共に関口流の教伝に腐心していた。 渋川の晩年の門人弓場弾右衛門政賢の代より渋川流を称している。
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