関口流抜刀術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 04:02 UTC 版)
江戸の昔から熊本に伝承されて来た関口流抜刀術は、肥後熊本藩御鉄砲頭の井澤十郎左衛門長秀(1686年-1730年)が、関口新心流の師範であった渋川伴五郎義方(1652年-1704年)より学んだ居合を熊本藩士に伝えた系統である。 井澤の尽力により肥後に伝播した関口流抜刀術は、維新後も熊本の地で連綿とその道統が守られている。 後の時代は、宮嵜勇夫の一派(亀谷→高木→宮嵜)、吉用清の一派(伝書は関口流居合道に改名。五所→吉用)、熊本に本部を置く青木の門弟米原の一派、最晩年に全日本居合道連盟の副会長になった亀谷が改変増補した教えを古伝とともに継承する萱間静林(亀谷の息女。)、および山田昌孝の一派(亀谷→山田昌孝→山田利康)に別れて活動している。
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