二天一流とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > スポーツ > 武道 > 一流 > 二天一流の意味・解説 

二天一流(にてんいちりゅう)

二刀流宮本武蔵創始にかかるものであり、これは武蔵春日神社巫女の打つ太鼓バチさばきを見てそれにヒントをえて工夫したものといわれ、又百姓水喧嘩巻きこまれ両手棍棒持って振り廻しその利をさとったともいろいろ伝えられているが、本当武蔵自身が「太刀片手にて取り習わせんが為なり」といってるように、まさかの時左右両手自由に使えるために工夫修練したものだろう。

たがって真剣勝負において二刀使ったことは絶無であり、巌流との試合も勿論一刀であった。而てニ天一立(りゅう)であり、両刀一刀使いこなすところに二刀至極があり、それを生命としてかく命名されたと伝えられている。

二天一流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 22:49 UTC 版)

二天一流(にてんいちりゅう)は流祖・新免玄信(宮本武蔵) が、晩年に熊本市に位置する霊巌洞(れいがんどう)で完成させた兵法である。その理念は著書『五輪書』に著されている。二天流武蔵流などとも呼ばれた。現在も、山東派と野田派が伝承されている。[1]


注釈

  1. ^ 具体例として、寺尾求馬助信行の三角半島にある墓には二天流とあり[2]、浅井新右衛門栄広の弟子たちが、自流の文献に『戦機二天流』『武蔵流修行心得之事』と名づけた。[3]
  2. ^ 『兵道経』二十八箇条 落合忠右衛門宛 慶長10年(1605年)、『兵道経』上二十ニ箇条 下十四箇条 年代不詳[29][30]、『円明三十五箇条』の原本になった『兵法三十五箇条』年代不詳[31]、『兵法書付』14箇条、寛永15年(1638年)11月[32]、『兵法三十五箇条』熊本藩主 細川忠利宛、寛永18年(1641年)2月[33]、『五方之太刀道』寛永18年(1641年)3月、『五輪書』寛永20年(1643年)寺尾孫之允宛[34]、『独行道』正保2年(1645年)5月12日[35]
  3. ^ 1613-1672[36]。宮本武蔵から『五輪書』を相伝。『「五輪書」相伝奥書』慶安4年(1652年)、/承応2年(1652年)/寛文8年(1668年)、『五輪書』地の巻「道をおこなふ法」9箇条の解説である『兵法行道口訣九箇條』[37]
  4. ^ 主君を3回変え、その都度禄高を上げた。要出典
  5. ^ 相伝の後、8年間遠島になる。赦免後も城下に住むことは許されなかった。要出典『兵法大祖武州玄信公伝来』享保12年(1727年)[38]
  6. ^ 後を継ぐ者なく、断絶[45]
  7. ^ (1766~1817)。吉田太郎右衛門実連の本家筋に当たり、立花種貫から二天一流の教えを受け、立花種貫の死後は白水重能からも学んだが、白水重能後が病に倒れた後、立花増昆から相伝を受ける。このとき立花増昆が、吉田家が所蔵していた柴任美矩が吉田実連に与えた吉田家本五輪書の空之巻巻末に相伝証文を継ぎ足して、それを吉田経年に返した。[49]
  8. ^ 立花増寿の息子で、立花種貫の弟で、白水家へ養子に出た人らしい。[51]
  9. ^ 丹羽五兵衛信英。1727[54]-1791[55]。筑前福岡城下にて[56]、知行1,300石の中老桐山作兵衛丹英の三男として誕生[57]。享保14(1729)年、父桐山丹英失脚し、知行召上げ。享保18(1733)年兄桐山丹誠へ新知500石。元文5(1740)年、父桐山丹英卒。それまで兄桐山丹誠とともに父から二天一流を学んでいたが、父の遺言でそれ以降は、立花増寿に入門[57]。延享元(1744)年、武蔵百回忌に小倉手向山参詣。寛延元(1748)年、丹羽理右衛門家養子となる。[56]宝暦元(1751)年、宝蔵院流槍術免許。明和6(1767)年、二天一流を相伝。この冬江戸にて主君に諫言の後、出奔[58][56]。越後の富岡村で行き倒れになっているところを発見され、紫雲寺郷片桐新田の関川助市家に寄寓し、終生そこで暮らす。[59]『兵法大祖武州玄信公伝来』を元に『兵法先師伝記』を著す[60]
  10. ^ 片桐新田の隣の高島新田の庄屋。[61]丹羽信英門人髄一[62][61]
  11. ^ 紫雲寺郷片桐新田の庄屋。師匠の丹羽五兵衛信英は終生関川助市家に暮らした。[63][64]
  12. ^ 1752-1804。越後村上内藤家家臣。寛政3(1790)年、丹羽信英から入門後1年という短期間で一流相伝。[66]
  13. ^ 越後村上藩二天一流師範役。平井家に生まれ、石黒直記の養子となり、二天一流を学び藩の師範役となる。幕末の尊王攘夷論に賛成し、奥羽越列藩同盟の加入に反対したが容れられず、村上藩は慶応4年/明治元年(1868)5月6日に加盟。石黒も従軍を命じられたが戦意はなく、明治維新後に隠遁。晩年はキリスト教を信じ、活動した。[16]>
  14. ^ 越後椎谷堀家家臣[67]
  15. ^ 越後椎谷堀家家臣[67]
  16. ^ 1758-1824。上今泉村の庄屋。[69][70]
  17. ^ 渡部六右衛門信行の嫡男。上今泉村の庄屋で、医師。[70]
  18. ^ 越後三日市柳沢家家臣で、江戸屋敷に奉公。渡部六右衛門信行・渡部六右衛門安信父子から学び、渡部六右衛門安信から相伝を得る[71]
  19. ^ 越後黒川柳沢家家臣[72]
  20. ^ 柴橋村(現在の新潟県胎内市柴橋)の庄屋。柴橋村は桑名松平領であった。大沼重蔵の兄[73]
  21. ^ 柴橋村(現在の新潟県胎内市柴橋)の庄屋大沼紋司美正の弟。[73]
  22. ^ 関妻村(現在の新潟県新発田市関妻)の庄屋[72]
  23. ^ 加治村(現在の新潟県加治川村の一部)の庄屋で、上館(新潟県新発田市上館)に陣屋のあった越後三日市柳沢家の役人を勤めたようである[72]
  24. ^ -明治5(1872)年。川口村(現在の新潟県長岡市の一部)の庄屋。[72]
  25. ^ 越後新発田溝口家家臣[67]
  26. ^ -1740。知行1,300石の中老[57]。師匠の実家の立花家の復権に尽力するが[78]、享保14(1729)年、失脚し、知行召上げ。享保18(1733)年嫡子桐山丹誠へ新知500石。元文5(1740)年、卒。子息桐山丹誠と丹羽信英に二天一流を指導していたが、遺言で以降は立花増寿に入門するように命じる[57]
  27. ^ 1638~1692[81]熊本藩家老一座八代城主3万石。『兵法二十七箇条』元禄3年(1690年)ころ、『二天流兵法書註解』元禄3年以前成立、享保6年写の原著者。[82]
  28. ^ 1621-1688[83]。宮本武蔵より『兵法三十五箇条』相伝[84][85][86]。『兵法三十九箇条』相伝奥書 寛文6年(1666年)/同7年、『五方技解』(「五方之太刀道」訓点)。[82]寛永十三年(1636)に十六歳で元服、知行二百石拝領。有馬陣(島原役)で戦功あり。寛永十六年(1639)鉄炮十挺頭、藩主細川綱利の代になって、寛文七年(1667)鉄炮二十挺頭、同十一年(1671)加増百石で、都合三百石、延宝七年(1679)鉄炮三十拾挺頭、貞享五年(1688)隠居せずに病死。嫡男の佐助信形が、家督を相続した。[87][88]寺尾求馬之助は藩主細川綱利に指南したが、寺尾求馬之助死後、細川綱利は柳生流を稽古した[89][90]
  29. ^ 『二天一流兵法書序鈔』宝永4年(1707年)、『兵法口義』正徳元年(1711年)を著す[91]
  30. ^ 宮本武蔵の伝記『武公伝』18世紀初期を著す。[92]
  31. ^ 『師談抄』 安永9年(1780年)を著す。[93]。また豊田正脩の『武公伝』を元に、宮本武蔵の伝記『二天記』安永5年(1776年)を著す。[94]
  32. ^ 1666-1701[95]。武蔵の再来と称され、現代に続く指導体系の基礎を固める。「二天一流合口伝来」を行う。[4]『五法刀構』元禄13年(1700年)を著す。[82]
  33. ^ -1739[96]。武名を上げるために、師匠である新免弁助信盛を殺害しようとして失敗し、破門される。また藩内の不行跡により知行を召し上げられ、浪人となる。糊口を凌ぐため、近隣の者に指導を始めるが、新免弁助信盛は二天一流を名乗ることを禁止し、足遣いを変更させ、村上流として指南することを許す。熊本藩に届け出た村上正勝系の二天一流の道統には名前が記載されない。[97]享保8年(1723)に『故村上平内源正雄兵法之書之事』を記したとされる。[98]
  34. ^ -1773[96]。村上平内正雄の長子。宝暦5年(1755年)1月に熊本藩より兵法指南役を仰せつけられ、二天一流の流名に復する。たいへんな人格者であった。[99]
  35. ^ 流儀退伝。[102]
  36. ^ -1788[96]。『村上伝兵法口義』安永5年(1776年)を著す。[93]兄村上正勝の出仕後、別格師範として藩士たちに指南。[103]
  37. ^ -1802[96]。『二天流兵法秘伝集』他5巻 明和2年(1765年)~安永7年(1778年)を著す。[105]。村上派・寺尾派の奥義を極めた後、両派の違いに悩み研鑽し、明和6年(1769年)二天一流別派 野田派二天一流と名乗る。[106]
  38. ^ -1808[96]
  39. ^ 野田三郎吉種秀にも師事した[107]
  40. ^ 昭和天皇の御前で演武[107]
  41. ^ 『宮本武蔵・二天一流の世界 』土屋書店 1984年9月1日 を著す。著作では、写真と文章を使って、技法を説明。
  42. ^ 第19代師範。1929-2000[108]。志岐太一郎からも学ぶ。『宮本武蔵の真髄―五輪書と二天一流の極意』マネジメント社 1989年10月1日 を著す。著作のなかで、図解と写真と伝書を駆使して技法を紹介。また山東系の宮川泰孝や今井正之と交流があったこと、宮川泰孝の山東系の宗家継承についても言及。お優しいお人柄であったと考えらえる。熊本市で医療法人を経営し、1989年から7年間日本ソフトボール協会会長を務め、ソフトボールの五輪競技採用に尽力。長女の大浦敬子[109]が、『超訳「五輪書」 強運に選ばれる人になる』海辺の出版社 2023/5/1を著す。
  43. ^ 第21代師範。『趣味どきっ! 刀剣Lovers探究 八の剣 二天一流(野田派二天一流)』NHK 2023/11/22(水) 午後9:30-午後9:55放送に出演。
  44. ^ 1650-1731。寺尾求馬之助の息子。[112][113]。新免弁助信森の死後、正徳二年(1712)藩主細川綱利が死んで、甥の宣紀が家督相続。この藩主細川宣紀が、寺尾藤次を兵法師範役として五人扶持十五石で召出し、度々御前で兵法を相勤めるようになった[89][114]
  45. ^ 『太田先生著述之兵法書』寛延3年(1750年)を著す。[115]
  46. ^ 寺尾求馬助の三男の玄高の息子。求馬助の相伝奥書を踏まえて書いた短い伝記である『二天一流相伝記』寛保2年(1742年)を著す。[117]寺尾藤次の嫡子だったが、知行200石の志方家に養子に入る[118]。叔父の弁助に一流相伝を受け、元禄十四年(1701)弁助が四十五歳で病死して以後、実父の藤次に再伝を得た[119][120]。宝暦5年(1755年)に時習館 (熊本藩)が設立され、武芸稽古所として東榭(とうしゃ)・西榭(せいしゃ)が設けられると、志方半兵衛は東榭の剣術師範のひとりとして、任用された[6][121]
  47. ^ 熊本藩二天流兵法師範志方半兵衛の5男新免弁之助は,廻国修行を藩に申し出たが許可されず、宝暦11(1761)年7月出奔し、廻国修行に出た。翌12年4月帰藩した際蟄居を申し付けられたが、13年8月に「連々剣術心懸,抜群之者付」という理由で赦されている。[122]
  48. ^ 剣理についても造詣が深く、弟子たちが『兵法心気体覚書』『戦機二天流』『武蔵流修行心得之事』『二刀一流極意条々』を著す。[125]
  49. ^ 谷口覓『史料考證 勧進・宮本武蔵玄信』1995年11月1日、116頁では関孫之丞。
  50. ^ 後を継ぐ者なく、断絶[126]
  51. ^ 兄新免弁助信盛からも学ぶ。要出典
  52. ^ 1713-1747。号は如雪。二天一流師範。揚心流柔術師範。[127]女敵討ちの返り討ちにあった儒者水足屏山父子を殺めた下手人を父喜左衛門らとともに討ち取る。[128][129][130][131]
  53. ^ 楊心流柔術師範でもあった。要出典
  54. ^ 文政7年(1824年)[132]-1909年[133]。父につき修行。兄弟弟子の宮崎長兵衛とともに江戸に武者修行する。西南戦争で長子を失う。明治35年(1902年)に京都聖護院で開催された大日本武徳会の演武会に出場。弟子で京大総長の木下広次が打太刀を務める。[134][135]
  55. ^ 1885-1969[136]。武蔵木刀・鉄扇相伝。1908年[136]、兵法二天一流宗家師範許状。関口流抜刀術第14代宗家。[137]1886-1969[136]号を鉄心。昭和30年代(1955-1964年)以降型を手直しし、教える時期によって技を改変した。[138]講述が門人の馬場清房藤政により『兵法二天一流太刀勢法解説書』として編集され、1960年に完成。[139]1967年、宇佐神宮に二天一流を相伝する「誠心直通之碑」が立てられ、清長忠直政実に宗家を譲る。[140]しかし、その後大分県日田の宮川泰孝にも宗家を譲った。[141]1966年8月25日に宮川泰孝により墓所として不絶塚僻が建立された。[142][141]
  56. ^ 1908-1977。[143]第9代師範。細川家伝統兵法二天一流と名乗る。二天一流免許皆伝。宗家師範代見。[137]青木規久男が手直しする前の「五法之勢法」と「勢法二刀合口」という二刀下段からなる14本の型を伝承。[144]二天一流鍛錬会会長。[143]船曳芳夫・大坪指方との共著『新・宮本武蔵考』岡山県大原町宮本武蔵顕彰会 1977年12月17日にて、二天一流鍛錬会の稽古体系の概要を説明。写真や具体的な手順の記載はなし。[145]
  57. ^ 第10代師範。『細川家伝統 兵法二天一流 宮川伊三郎派』2016年を監修。
  58. ^ 第11代師範。『宮本武蔵伝説―最強剣士・宮本武蔵の激闘人生を検証! (別冊宝島 574) ムック 』宝島社 2001年12月で、二天一流の型を解説。『宮本武蔵伝説 (宝島社文庫)』宝島社 2001年4月1日で、二天一流の型を解説。『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日、『新編真訳 五輪書 兵法二天一流真諦』文芸社 2007年11月15日を著す。2005年2月18日にNHK福岡発地域ドラマ「我こそサムライ!」に協力。劇中の太宰府にいる二天一流の継承者・君原誠心(小川正)のモデルとなる。DVD『天下無双人 武蔵になる。兵法二天一流 極意指南 勢法二刀合口編』BAB 2004年1月1日にて型の指導と解説。[150][151]
  59. ^ 二天一流免許皆伝。[137]
  60. ^ 第9代宗家。1967年、宇佐神宮に二天一流を相伝する「誠心直通之碑」が立てられ、青木規矩男から相伝を受け、第九代宗家となる。[140]
  61. ^ 第10代宗家を1976年11月21日に継承。1956年7月、青木規矩男に入門。1967年1月、清長忠直に師事。『宮本武蔵 独行道 二天一流勢法』1987年12月4日を著す。[155]2003年NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』が放送され、武蔵ブームに火がついた最中、岩見利男、清長文哉、青木規矩男ゆかりの台湾の弟子の3人に相伝を発表。[140]台湾の弟子は陳信寰(チンシンホヮン)である。[156]
  62. ^ 1948-。福岡県生まれ。第11代宗家。1979年に宮本伊織第十三世・宮本信男の紹介で、兵法二天一流正統第十代宗家の今井正之に入門。2000年に北九州市小倉南区の自宅に道場「獨行庵」を開設。2001年に免許皆伝、2003年に兵法二天一流第十一代を継承。日本各地はもとよりアメリカ、フランス、スペイン、カナダ、メキシコなど世界各地で日本武道の普及や紹介のため、セミナーを開催している。[159]2006年当時、小倉南区消防署に勤務。合田周平との共著『こころの潜在力 宮本武蔵と中村天風』PHP研究所 2006年9月22日。
  63. ^ 第11代宗家。
  64. ^ 1948[140]-2020.01.04[163]。大分県宇佐市出身。第12代宗家。居合道教士七段、剣道四段(2007年当時)。実父五所元治から関口流居合術、兵法二天一流を学ぶ。1994年、関口流居合術免許皆伝。1998年、兵法二天一流免許皆伝。清長文哉の死を受けて、宇佐市剣道連盟が清長忠直夫人や今井正之や清長文哉の門人たちと話し合い、2007年吉用清を兵法二天一流正統十二代に推戴した。[140]DVD『古流 関口流 実戦居合道』2013年7月 株式会社ヘルツをリリース。
  65. ^ 第11代宗家。台湾剣道連盟会長。2011年に東日本大震災が発生すると、台湾で開催している国際都市剣道交流大会において、被災地に対する支援を訴え、寄付を募った。[156]
  66. ^ 第二次世界大戦からの復員後、清長忠直の紹介で、青木規矩男に師事。清長忠直が後継者を定めずに亡くなった後、二天一流の次の宗家にという話もあったが、多忙で断り、弟弟子の今井正之が宗家を継ぐ。剣道の降盛とは衷腹に古武道への無関心さを不安に思い、兵法二天一流の小冊子を作成。[140] また月刊『剣道日本』にて1986年4月号から1987年3月号にかけて、詳解・居合道 関口流を連載。 。
  67. ^ 1953-[165]。五所元治から剣道、関口流居合術、二天一流を学ぶ。1991年全日本居合道大会五段の部の県代表で初出場3位、1992年2位。1995年六段の部で2位、居合道教士七段、剣道四段(2007年9月当時)。[166]正統兵法二天一流第十二代宗家代見、兵法二天一流 免許皆伝、関口流抜刀術 免許皆伝、全日本剣道連盟 居合道 教士七段[167]
  68. ^ 第9代宗家。円明之木太刀相伝。不絶塚僻建立昭和41年8月25日。[142]野田派二天一流の大浦辰男が昭和53年7月30日に宮川泰孝にお会いになり、青木規矩男から宮川泰孝と清長忠直が山東派の第9代を継承したという話や、宮川泰孝が恩師の青木規矩男の墓所を整備した話を聞いた。昭和60年(1985年)2月11日に、清長忠直の弟子の今井正之にお会いになりお話しされて、大分の(日田の宮川泰孝)に山東派の宗家が継承されたのはご存知だった。その時点で、青木規矩男の墓所を宮川泰孝が整備されたのは知らなかった。[141]
  69. ^ 昭和60年(1985年)に古武道功労者表彰を受けた。
  70. ^ 第10代宗家。『五輪書』編集兼発行人 宮川 護人 編集協力 関西図書出版 1982年8月8日発行
  71. ^ 二天一流免許皆伝。宗家師範代見。関口流抜刀術第15代宗家。[137]
  72. ^ 二天一流免許皆伝。宗家師範代見。青木規久男の講述を『兵法二天一流太刀勢法解説書』として編集し、1960年に完成。[139]

出典

  1. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』2002年 426ページ。
  2. ^ “肥後系武蔵伝記のバックヤード (後篇)”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/08b.html?fbclid=IwAR1NNxUQJSHGDuQDlL7fT5SDqi0ThnmlRQw_ckrT23LCXa9jjKIR-69UXic 2023年6月27日閲覧。 
  3. ^ 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 481ページ。
  4. ^ a b 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 476-477ページ。
  5. ^ 村本亮助撰『細川侯蔵 諸師役流系 全』文政4年(1821)。
  6. ^ a b 熊本県体育協会編『肥後武道史』昭和49年(1974年)4月25日青潮社 5ページ。
  7. ^ “肥後系武蔵伝記のバックヤード (後篇)”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/08b.html 2023年6月25日閲覧。 
  8. ^ “肥後系武蔵伝記のバックヤード (後篇)”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/08b.html 2023年6月25日閲覧。 
  9. ^ 熊本県体育協会編『肥後武道史』青潮社 1974年5月1日 76ページ。
  10. ^ 『豊田氏先祖附』
  11. ^ 鈴木幸治「宮本武蔵二天流兵法の越後伝来-丹羽信英とその門流」月刊『剣道時代』2013年4月号 90-97ページ
  12. ^ 宮崎長兵衛政賢『嘉永3年廻国修行英名録』嘉永3年(1850)
  13. ^ a b 長尾進「幕末期熊本藩における剣術の動向について(II)」『武道学研究』24巻2号、日本武道学会、1991年、17-18頁
  14. ^ 牟田高惇『諸国廻歴目録』
  15. ^ 永井義男『剣術修行の旅日記 佐賀藩葉隠武士の「諸国廻歴日録を読む」』朝日新聞出版、2013年
  16. ^ a b c 飯田素州「越後伝二天一流の展開」『新潟県文人研究』12号、2009年10月、62頁
  17. ^ 『肥後武道史』熊本県体育協会編、1974年5月1日、7頁
  18. ^ 『肥後武道史』熊本県体育協会編、1974年5月1日、80頁
  19. ^ 谷口覓『史料考證 勧進・宮本武蔵玄信』1995年11月1日、133頁
  20. ^ 『肥後武道史』熊本県体育協会編、1974年5月1日、89頁
  21. ^ 『肥後武道史』熊本県体育協会編、1974年5月1日、94頁
  22. ^ 「特編 光輝ある肥後武道 」昭和-天覧武道」『肥後武道史』熊本県体育協会編、1974年5月1日、1-18頁
  23. ^ a b 大浦 辰男『宮本武蔵の真髄―五輪書と二天一流の極意』マネジメント社、1989年10月1日、10-11頁
  24. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』2002年 426ページ
  25. ^ “野田派二天一流剣術”. 日本古武道協会. https://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/035/ 2023年5月2日閲覧。 
  26. ^ 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 224-233ページ
  27. ^ 宮田和宏『新編真訳 五輪書 兵法二天一流真諦』文芸社 2007年11月15日 79ページ
  28. ^ “宇佐の誠心直道之碑の解説掲示版”. 二天会. https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1023440-d19266337-Reviews-Musashi_Miyamoto_Seishin_Jikido_Monument-Usa_Oita_Prefecture_Kyushu.html 2023年6月18日閲覧。 
  29. ^ 森田栄『日本剣道史』九号、十一号
  30. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社、 2002年12月20日、264-269頁)
  31. ^ 赤羽根龍夫・赤羽根大介『武蔵「五輪書」の剣術』スキージャーナル社、2014年7月
  32. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社、2002年12月20日、114頁
  33. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社、2002年12月20日、311頁
  34. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社、2002年12月20日、149頁
  35. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社、2002年12月20日、 161頁
  36. ^ 宮田和弘『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社、2002年10月15日、473頁
  37. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社、2002年12月20日、406頁)。
  38. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社、2002年12月20日、409頁。
  39. ^ a b 立花峯均『兵法大祖武州玄信公伝来』享保12年(1727年)
  40. ^ “[武蔵伝記集]丹治峯均筆記 自 記”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d112.html 2023年5月2日閲覧。 
  41. ^ “[武蔵伝記集]丹治峯均筆記 自 記”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d112.html 2023年5月2日閲覧。 
  42. ^ “峯均以後”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d113.html 2023年5月7日閲覧。 
  43. ^ “峯均以後”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d113.html 2023年5月7日閲覧。 
  44. ^ “峯均以後”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d113.html 2023年5月7日閲覧。 
  45. ^ a b c d 谷口覓『史料考證 勧進・宮本武蔵玄信』1995年11月1日、117頁
  46. ^ “峯均以後”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d113.html 2023年5月7日閲覧。 
  47. ^ 柴任美矩が吉田実連に与えた吉田家本五輪書の空之巻に継足された相伝証文写しにある立花増昆の跋文 寛政四年(1792年)
  48. ^ “峯均以後”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d113.html 2023年5月7日閲覧。 
  49. ^ Template:Cite nennnews
  50. ^ “峯均以後”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d113.html 2023年5月7日閲覧。 
  51. ^ “峯均以後”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d113.html 2023年5月7日閲覧。 
  52. ^ “[武蔵伝記集]丹治峯均筆記 自 記”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d112.html 2023年5月2日閲覧。 
  53. ^ a b c d e 月刊『剣道時代』2013年4月号 91ページ
  54. ^ 月刊『剣道時代』2013年4月号 84ページ
  55. ^ 月刊『剣道時代』2013年4月号 88ページ
  56. ^ a b c 鈴木幸治「宮本武蔵二天流兵法の越後伝来-丹羽信英とその門流」月刊『剣道時代』2013年4月号 97ページ
  57. ^ a b c d 佐藤泰彦「宮本武蔵の兵法二天流を越後に伝えた丹羽五兵衛信英 その資料を訪ねて」月刊『剣道時代』2013年4月号 84ページ
  58. ^ 新発田の儒者・丹羽悳「丹羽信英伝」
  59. ^ 佐藤泰彦「宮本武蔵の兵法二天流を越後に伝えた丹羽五兵衛信英 その資料を訪ねて」月刊『剣道時代』2013年4月号 86ページ。
  60. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社 2002年12月20日 409-410ページ
  61. ^ a b 月刊『剣道時代』2013年4月号 94ページ。
  62. ^ 『兵法列世伝』
  63. ^ 月刊『剣道時代』2013年4月号 86ページ。
  64. ^ 月刊『剣道時代』2013年4月号 93ページ。
  65. ^ “赤見家に伝わる五輪書”. 街プレ西多摩版2011.10.27 (街プレ). https://machipre.net/2011/10/27/2204/?fbclid=IwAR26yFxQH8m01Kd2rYZrC2guDcwxmLPHazRaSmpSfAxxroG74Rc0XP44dIQ 2023年5月22日閲覧。 
  66. ^ 佐藤泰彦「宮本武蔵の兵法二天流を越後に伝えた丹羽五兵衛信英 その資料を訪ねて」月刊『剣道時代』2013年4月号 87ページ。
  67. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au 鈴木幸治「宮本武蔵二天流兵法の越後伝来-丹羽信英とその門流」月刊『剣道時代』2013年4月号 91ページ
  68. ^ “赤見家に伝わる五輪書”. 街プレ西多摩版2011.10.27 (街プレ). https://machipre.net/2011/10/27/2204/?fbclid=IwAR26yFxQH8m01Kd2rYZrC2guDcwxmLPHazRaSmpSfAxxroG74Rc0XP44dIQ 2023年5月22日閲覧。 
  69. ^ 月刊『剣道時代』2013年4月号 87ページ。
  70. ^ a b 月刊『剣道時代』2013年4月号 95ページ。
  71. ^ 月刊『剣道時代』2013年4月号 96ページ。
  72. ^ a b c d 鈴木幸治「宮本武蔵二天流兵法の越後伝来-丹羽信英とその門流」月刊『剣道時代』2013年4月号 96ページ
  73. ^ a b 鈴木幸治「宮本武蔵二天流兵法の越後伝来-丹羽信英とその門流」月刊『剣道時代』2013年4月号 95-96ページ
  74. ^ “赤見家に伝わる五輪書”. 街プレ西多摩版2011.10.27 (街プレ). https://machipre.net/2011/10/27/2204/?fbclid=IwAR26yFxQH8m01Kd2rYZrC2guDcwxmLPHazRaSmpSfAxxroG74Rc0XP44dIQ 2023年5月22日閲覧。 
  75. ^ “峯均以後”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d113.html 2023年5月7日閲覧。 
  76. ^ 立花峯均『兵法大祖武州玄信公伝』享保12年(1727年)
  77. ^ “[武蔵伝記集]丹治峯均筆記 自 記”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d112.html 2023年5月2日閲覧。 
  78. ^ 鈴木幸治「宮本武蔵二天流兵法の越後伝来-丹羽信英とその門流」月刊『剣道時代』2013年4月号 92ページ
  79. ^ 丹羽信英『兵法列世伝』
  80. ^ “[武蔵伝記集]丹治峯均筆記 自 記”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi2d/houkin/d112.html 2023年5月2日閲覧。 
  81. ^ “武公伝研究余滴”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/09.html?fbclid=IwAR3Vg75bZ3S7PpqwuSx2GLGcZHV4guiMkn_o2voDb47W84YPLDHkt6foYuc 2023年6月26日閲覧。 
  82. ^ a b c 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社 2002年12月20日 406ページ。
  83. ^ 宮田和弘『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 475ページ
  84. ^ 寺尾求馬助信行『兵法三十九箇条』相伝奥書 寛文6年(1666年)。
  85. ^ 豊田正脩『武公伝』宝暦5年(1755年)
  86. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社 2002年12月20日 423ページ)。
  87. ^ 『寺尾氏先祖附』
  88. ^ “武公伝研究余滴”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/09.html?fbclid=IwAR2BLv5tU0seDMQg7zAg0bqmXK0C9Hz31DVdi5H7l-gavcI8tvzxCvJsopQ 2023年6月25日閲覧。 
  89. ^ a b 志方半兵衛之経『兵法二天一流相伝記』 寛保二年(1742年)
  90. ^ “肥後系武蔵伝記のバックヤード (後篇)”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/08b.html 2023年6月25日閲覧。 
  91. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社 2002年12月20日 406ページ)。
  92. ^ 要出典。
  93. ^ a b 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社 2002年12月20日 407ページ。
  94. ^ 要出典
  95. ^ 宮田和弘『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 476ページ
  96. ^ a b c d e 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社、2002年12月20日、426頁
  97. ^ 『熊本藩武芸諸流』、宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 481-483ページ)。
  98. ^ 日本剣道連盟『鈴鹿文書解説一』2003年3月31日 124ページ。
  99. ^ a b c d 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 481-483ページ)。
  100. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 『本庄手永武芸目録しらべ』
  101. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 新熊本市史編纂委員会『新熊本市史 通史編 第4巻 近世Ⅱ』熊本市 2003年3月28日 810ページ。
  102. ^ 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 481-483ページ。
  103. ^ 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 483-484ページ)。
  104. ^ a b c d 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 483-484ページ。
  105. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社 2002年12月20日 407ページ
  106. ^ 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 485-487ページ。
  107. ^ a b 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社、2002年12月20日、427頁
  108. ^ “米国でビジネスマンが愛読する剣豪・宮本武蔵の『五輪書』 超訳の解説書の著者に「勝つ秘策」を聞く”. 読売新聞. https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20230522-OYT8T50065/ 2023年11月27日閲覧。 
  109. ^ “米国でビジネスマンが愛読する剣豪・宮本武蔵の『五輪書』 超訳の解説書の著者に「勝つ秘策」を聞く”. 読売新聞. https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20230522-OYT8T50065/ 2023年11月27日閲覧。 
  110. ^ “野田は二天一流剣術”. 日本古武道協会. https://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/035/ 2023年11月27日閲覧。 
  111. ^ “野田は二天一流剣術”. 日本古武道協会. https://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/035/ 2023年11月27日閲覧。 
  112. ^ a b 宮田和弘『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 477ページ。
  113. ^ “肥後系武蔵伝記のバックヤード (後篇)”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/08b.html 2023年6月25日閲覧。 
  114. ^ “肥後系武蔵伝記のバックヤード (後篇)”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/08b.html 2023年6月25日閲覧。 
  115. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社 2002年12月20日 406ページ
  116. ^ 魚住孝至『宮本武蔵-日本人の道』2002年 409ページ
  117. ^ 魚住孝至『日本人の道 宮本武蔵』ぺりかん社 2002年12月20日 409-410ページ。
  118. ^ “肥後系武蔵伝記のバックヤード (後篇)”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/08b.html 2023年6月25日閲覧。 
  119. ^ 『兵法二天一流相伝記』志方半兵衛之経 (寛保二年・1742)
  120. ^ “肥後系武蔵伝記のバックヤード (後篇)”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/08b.html 2023年6月25日閲覧。 
  121. ^ “肥後系武蔵伝記のバックヤード (後篇)”. 播磨武蔵研究会. https://musasi.siritai.net/themusasi3/zadan/08b.html 2023年6月25日閲覧。 
  122. ^ 長尾進「寛政期における剣術廻国修行の実態とその意義一武州忍領・大原傳七郎 剣術修行帳 の分析を通して一」明治大学教養論集通巻293号(1997・1)、1-21頁
  123. ^ a b c d e 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 479-481ページ。
  124. ^ a b 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 479-481ページ
  125. ^ 宮田和宏『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 481ページ)。
  126. ^ a b 谷口覓『史料考證 勧進・宮本武蔵玄信』1995年11月1日、116頁
  127. ^ 宮田和弘『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 4889ページ。
  128. ^ “享保十七年四月九日、水足先生父子災難”. 津々堂のたわごと日記. https://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/a9e199db00128838a608180cc58f31c3?fbclid=IwAR3GJr_TA1IsgQQ8ZXy9WoSLQDXP1jGFvaIg0q8mIcH6wdOoScHYpvKtn0o 2023年5月18日閲覧。 
  129. ^ “屏山先生家難”. 津々堂のたわごと日記. https://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/ba8e54de877cd69f2dff142ad4394a1a?fbclid=IwAR2s0o-Sfdodi8xeL5cJSmyo1_32hmxzVktVDe1DNwHD5QW-Y676CxXTD38 2023年5月18日閲覧。 
  130. ^ “松寿庵先生 第117講”. 津々堂のたわごと日記. https://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/e91d62160bb69cdcbd9fb3c4f83cefda?fbclid=IwAR3fJKzDZ4iXAkbLBeEUyiehrW6PR8Hq_WdzVorAQiCaCdl8T45btyZfkxc 2023年5月18日閲覧。 
  131. ^ “細川家家臣・吉田如雪家”. 津々堂のたわごと日記. https://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/e51267a90ae8fde5f4a17ffec946c00d?fbclid=IwAR0wQbAGIS_m1AD2lrjiKb2IYTRLcvMeOSLjSWQUtM2xoZ89i4idboQvyq4 2023年5月18日閲覧。 
  132. ^ 谷口覓『史料考証勧進・宮本武蔵玄信』1995年 133-134ページ)
  133. ^ 宮田和弘『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 488ページ。
  134. ^ 谷口覓『史料考証勧進・宮本武蔵玄信』1995年 133-134ページ)。
  135. ^ 宮田和弘『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 488-489ページ。
  136. ^ a b c 宮田和弘『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 489ページ。
  137. ^ a b c d 谷口覓『史料考証勧進・宮本武蔵玄信』1995年 121ページ。
  138. ^ 『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 492-493ページ)。
  139. ^ a b c 谷口覓『史料考証勧進・宮本武蔵玄信』1995年 121ページ
  140. ^ a b c d e f g h i 月刊『剣道日本』2007年9月号
  141. ^ a b c 大浦辰男『宮本武蔵の真髄 五輪書と二天一流の極意 』(マネジメント社)の序文。
  142. ^ a b 月刊『剣道日本』1976年3月号。
  143. ^ a b 船曳芳夫・大坪指方・宮川伊三郎規心『新・宮本武蔵考』岡山県大原町宮本武蔵顕彰会 1977年12月17日 奥付。
  144. ^ 『宮本武蔵 実戦・二天一流兵法「二天一流兵法書」に学ぶ』文芸社 2002年10月15日 493ページ。
  145. ^ 船曳芳夫・大坪指方・宮川伊三郎規心『新・宮本武蔵考』岡山県大原町宮本武蔵顕彰会 1977年12月17日。
  146. ^ 谷口覓『史料考証勧進・宮本武蔵玄信』1995年 63,75ページ
  147. ^ “日本古武道振興会加盟流派”. 日本古武道振興会. https://kobushin.jp/ryuha/ 2023年4月29日閲覧。 
  148. ^ 『日本古武道振興会創立八十周年記念流儀解説書』2015年7月19日発行 152-153ページ
  149. ^ 『日本古武道振興会創立八十五周年記念流儀解説書』2020年12月1日発行 126-127頁
  150. ^ “福岡発地域ドラマ「我こそサムライ!」”. NHK. https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A200503121630001301000 2023年11月27日閲覧。 
  151. ^ “「我こそサムライ!」”. テレビドラマデータベース. http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-38135 2023年11月27日閲覧。 
  152. ^ a b 「秘伝ジャーナル」の宮田和宏による告知『秘伝』2019年9月号
  153. ^ “歴史”. 兵法二天一流玄信会. https://2ten1ryu-genshinkai.online/genshinkai-history/ 2023年5月12日閲覧。 
  154. ^ “歴史”. 兵法二天一流玄信会. https://2ten1ryu-genshinkai.online/genshinkai-history/ 2023年5月12日閲覧。 
  155. ^ 今井正之『宮本武蔵 独行道 二天一流勢法』1987年12月4日
  156. ^ a b c 月刊『剣道時代』2023年3月号 156ページ。
  157. ^ “兵法二天一流剣術”. 日本古武道協会. https://kobushin.jp/ryuha/ 2023年4月29日閲覧。 
  158. ^ 岩見利男 合田周平『こころの潜在力 宮本武蔵と中村天風』PHP研究所 2006年9月22日。
  159. ^ 合田周平・岩見利男『こころの潜在力 宮本武蔵と中村天風』PHP研究所 2006年9月22日。
  160. ^ “兵法二天一流剣術”. 日本古武道協会. https://kobushin.jp/ryuha/ 2023年4月29日閲覧。 
  161. ^ “兵法二天一流の正統を後世に残す責務 兵法二天一流正統第十二代 宗家師範 吉用 清”. 国際正武館武道. https://kobushin.jp/ryuha/ 2023年4月29日閲覧。 
  162. ^ “兵法二天一流の正統を後世に残す責務 兵法二天一流正統第十二代 宗家師範 吉用 清”. 国際正武館武道. https://kobushin.jp/ryuha/ 2023年4月29日閲覧。 
  163. ^ “訃報連絡 兵法二天一流 吉用 清先生”. 日本古武道新振興会. https://kobushin.jp/ryuha/ 2023年5月18日閲覧。 
  164. ^ “日本古武道振興会加盟流派”. 日本古武道振興会. https://kobushin.jp/ryuha/ 2023年4月29日閲覧。 
  165. ^ 月刊『剣道日本』2007年9月号
  166. ^ 月刊『剣道日本』2007年9月号。
  167. ^ “二天会について”. 二天会. https://nitenkai.com/about/?fbclid=IwAR0UCZMSR96-U0umWcfW-j6qN8rFNpnY0-KGmYmO4Xy-c-dcdUeWQI1hc4U 2023年6月11日閲覧。 
  168. ^ 大浦辰男『宮本武蔵の真髄 五輪書と二天一流の極意 』(マネジメント社)の序文
  169. ^ “日本古武道振興会加盟流派”. 日本古武道振興会. https://kobushin.jp/ryuha/ 2023年4月29日閲覧。 
  170. ^ “関口流抜刀術”. 日本古武道協会. https://kobushin.jp/ryuha/ 2023年4月29日閲覧。 
  171. ^ 野田一渓種信『二天一流兵法口伝集』1765-1778年
  172. ^ 魚住孝至『日本人の道-宮本武蔵』ぺりかん社、2002年12月20日、401-402ページ



二天一流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 09:04 UTC 版)

刃牙シリーズの登場人物」の記事における「二天一流」の解説

作中では1645年にまだ完成していなかったという設定。筆を使わず書する如く、剣を使わず斬ることを奥義とする。そのため無刀でも構えは剣と同じであり、対戦相手武蔵の手中に大小イメージを見る。なお武蔵現代格闘技評して拳を剣としたと讃えているが、同時に「剣と言っても自分の剣ほどではない」と笑っており、その言葉違わぬ斬撃力を発揮する

※この「二天一流」の解説は、「刃牙シリーズの登場人物」の解説の一部です。
「二天一流」を含む「刃牙シリーズの登場人物」の記事については、「刃牙シリーズの登場人物」の概要を参照ください。


二天一流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 15:22 UTC 版)

戦国BASARAの登場人物」の記事における「二天一流」の解説

正確には「軍勢ではなく、ただ強さだけを求め各地猛者戦い挑む剣豪集団リーダー格である武蔵戦い見られるように、勝利することだけに拘ったそのやり口正々堂々したものとは言い難く荒くれ者集団に近い。武蔵待ち構える巌流島は罠だらけの無法地帯化している。 宮本武蔵みやもと むさし) 声:浪川大輔 / 初登場『2』(『皇』では操作不可肩書:「天驚動地」(てんきょうどうち) / 登場時の書き文字:「参戦属性:無 / 武器木刀(第8武器のみ打刀脇差) / 防具:肩当 / 一人称:「おれさま二刀流剣術「二天一流」の使い手佐々木小次郎との決闘時のイメージからか、左手持った木刀右手持った巨大な二刀流で戦う。真っ向から堂々と勝負仕掛けてくるものの、メッタ打ちにしたり石を投げつけたりと、戦い方は「悪ガキそのもの後述ステータスあるよう腕っぷしは強いが、頭は良くはなく、頻繁に悪態をつく自分の名前も含め難し漢字全てひらがな表記になっている。もっとも、状況的答えになっている発言や、(侮辱という悪い意味でも)相手伝わりやすい話をすることから、敵に対して鋭い批評下すことが多い武将達(半兵衛佐助・久秀など)から、極めて高い評価受けており、特に久秀からは武蔵の「おめーの話はむずかしい。みんなぶったおして終わりでいいじゃん」という発言に対して驚いた真理言い当てられては、こちらも形無しだ」という、他者対す批評とは全く違う絶賛をされた。軍には所属しておらず、天下統一モード進めていくと武蔵乱入し単独戦い挑んでくることがあるまた、天下統一モード操作キャラとして使う場合、二天一流はどこかを統治している集団ではなく初期統治国が存在しないため、隣国しか攻められない仕様無視し離れた国を自由に攻めることができる。 初期体力極端に少ないが、レベル上昇する毎に大幅に上昇する攻撃力が非常に高くバサラは文字通り一撃必殺威力を持つ。またバサラゲージが短くすぐ溜まるため、固有技感覚バサラ技を使える挑発モーションには当たり判定がある。 『3』『宴』では登場しないが、アニメ第2期同様に島津軍修行していることが義弘の口から匂わされている。 『皇』では合戦ルーレットの「罰天マス」を当てる追跡者としてプレイヤーに襲うことがある。このとき武蔵覆面をしている。

※この「二天一流」の解説は、「戦国BASARAの登場人物」の解説の一部です。
「二天一流」を含む「戦国BASARAの登場人物」の記事については、「戦国BASARAの登場人物」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「二天一流」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「二天一流」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



二天一流と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二天一流」の関連用語

二天一流のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二天一流のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
たのもうや@武道具店たのもうや@武道具店
Copyright(c)2024 SHOJI Martial Arts Equipments Shop All rights reserved.
たのもうや@武道具店剣道用語辞典
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの二天一流 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの刃牙シリーズの登場人物 (改訂履歴)、戦国BASARAの登場人物 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS