関口新心流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/21 07:40 UTC 版)
関口新心流(せきぐちしんしんりゅう)は、江戸時代初期に関口氏心(せきぐちうじむね)が開いた柔術流派である。柔術という語の嚆矢であるとされている。
注釈
- ^ 剃髪し出家したとも、築山殿の娘 加納姫(亀姫)が奥平信昌に嫁いだ時に侍従したともいう。『蒲原町史』によれば、関口・瀬名各系譜を考証した上で、関口外記氏幸およびその父兼興は「北条ニ任フ」とされ、徳川家に仕官した事を裏付ける同時代の記録はない。『新編武蔵風土記稿』によれば、関口外記は後北条氏の家臣として武蔵国橘樹郡子安郷を知行した。
- ^ 一説には孫弟子とも伝えられる。
- ^ 義辰が陳元贇から中国拳法を伝授されたのは寛永頃とされる。
- ^ 元和頃に陳元贇から伝授されたとの説もある。現代では、武道史研究家の高橋賢が「陳元贇が武術を伝えたとするのは後世の虚構」とする説を唱えている。当時、中国人より武技を授かった伝説で権威付けをした流派は他にもあり、高名な文人である陳元贇の名を使ったとも考えられている。また、当時の陳元贇が書き記したものや、そのほかの記録に一切武術に関する事が無い。陳元贇と拳法、柔術の関係が言及されるのは後世の文献のみである。それらの文献では、陳元贇は故郷で「人を捕らうる術」を見聞きした、と三浪人に語った事になっており、教授したわけではなく、中国で見聞きした事を語った可能性が高い。
出典
- ^ 新心流柔術免許(神戸大学附属図書館 一般 789.2‐S6//1)
- ^ 和田哲也「武田家の関口流の伝書類とその伝授の実態について―伝書類の整理と相伝階級の検討―」『武道学研究』第25巻第2号、日本武道学会、1992年、13-23頁、doi:10.11214/budo1968.25.2_13、ISSN 0287-9700、NAID 130004986368。
- ^ 和田哲也「阿波吉野川沿岸地域における関口流剣術について―武田家の関口流を中心に―」『武道学研究』第23巻第2号、日本武道学会、1990年、177-178頁、doi:10.11214/budo1968.23.2_177、ISSN 0287-9700、NAID 130004573330。
- ^ 日本古武術協会 加盟流派一覧
- ^ ニュース和歌山 / 2006年3月29日(水)号の紙面から
- ^ 和歌山県教育委員会 県指定文化財・無形文化財
[続きの解説]
- 関口新心流のページへのリンク