関口氏暁とは? わかりやすく解説

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関口氏暁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 13:10 UTC 版)

 
関口 氏暁
せきぐち うじとき
時代 江戸時代前・中期
生誕 寛永17年(1640年
死没 享保14年10月12日1729年12月2日
別名 関口 弥太郎 (せきぐち やたろう)
紀州藩
氏族 関口氏
父母 関口氏心
兄弟 関口氏業、関口氏英
特記
事項
関口新心流四代目宗家
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関口 氏暁(せきぐち うじとき[1]1640年 - 1729年12月2日/享保14年10月12日)は、江戸時代前・中期日本武士柔術家である[1]関口新心流四代目宗家。通称は関口 弥太郎(せきぐち やたろう)[1]、号は蟻楼(ぎろう)[2]。「氏暁」の読みは「うじあき」とも[2]。「剣の達人」として知られた[2]。実在の人物であるが、講談や映画などにも取り上げられ、経歴についての異説や、史実とは異なる描写も多く流布されている。

人物・来歴

1640年寛永17年)、播磨国(現在の兵庫県南西部)に、柔術・関口新心流の開祖、関口氏心の三男として生まれる[1]。長兄は関口氏業(二代目)、次兄が関口氏英(三代目)である。寛永9年(1632年)9月22日に行われた「寛永御前試合」に出場したとする文献があるが、まだ生まれていない。

紀州徳川家に仕えた[1]。数寄屋奉行、郡奉行、鉄砲改役等を歴任した[1]。関口新心流三代目の氏英の嫡男・氏一が成人するまで、四代目を務めた[2]

1729年12月2日享保14年10月12日)、死去した[1]。享年90(満88-89歳没)。父同様に江戸に贋者が現れたといい、「関口新心流」によれば、東京都足立区東伊興法受寺にある墓は贋者のものであるという[2]

講談の主人公として登場し、二本松藩士として描かれるが、事実とは異なる[2]。講談や剣豪小説、またそれらを原作とした映画の中では、妻とともに仇討ちの旅に出る設定のキャラクターとして描かれている[2]

フィルモグラフィ

日本映画データベースキネマ旬報映画データベース等にみられる「関口氏暁」(弥太郎)の登場する劇映画一覧である。末尾の俳優が氏暁(弥太郎)を演じた。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 関口氏暁、デジタル版 日本人名大辞典+Plus、コトバンク、2012年7月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 流派の歴史関口新心流、2012年7月24日閲覧。

参考文献

  • 『武士道精華 関口弥太郎』、雪花山人、立川文庫第24篇、1911年

関連項目

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