唯心一刀流とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 社会 > 社会運動 > 一派 > 唯心一刀流の意味・解説 

ゆいしん‐いっとうりゅう〔‐イツタウリウ〕【唯心一刀流】

読み方:ゆいしんいっとうりゅう

江戸前期剣術一派伊東一刀斎景久の門人、古藤田(こふじた)勘解由左衛門唯心により創始。古藤田流


唯心一刀流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/26 17:34 UTC 版)

唯心一刀流
ゆいしんいっとうりゅう
別名 外他流、古藤田一刀流
発生国 日本
創始者 古藤田勘解由左衛門俊直
主要技術 剣術槍術
テンプレートを表示

唯心一刀流(ゆいしんいっとうりゅう)とは、古藤田俊直(唯心)の系統の一刀流。「古藤田一刀流」とも呼ばれる。剣術だけでなく槍術も含むなど、一刀流の古い形態を伝えていた。

歴史

戦国時代後北条氏家臣であった古藤田俊直は、新当流の剣術と槍術に通じていたが、天正12年(1584年)に相模を訪れた伊藤一刀斎と試合をして敗れ、伊藤の門人となり、剣術と槍術を学んだ。

俊直は自らの武術を子孫に伝えた。他の系統の一刀流の多くが剣術専門流派となる中で、俊直の系統は槍術も伝え続けた。

俊直の孫の古藤田俊定が大垣藩戸田家)に200で召し抱えられ、古藤田家は幕末まで代々、大垣藩の一刀流剣術・槍術師範を務めた。

俊定は『一刀流剣法口伝之書』(『一刀斎先生剣法書』とも呼ばれる)、『剣術大意集』を著した。俊定の弟子に杉浦正景、正木流を開いた正木俊光らがいる。

古藤田家が仕えた大垣藩のほか、笠間藩喜連川藩磐城平藩徳山藩などで伝えられ、特に笠間藩では示現流と並んで藩の剣術の二大流派であった。

笠間藩に伝わった系統から、山本鉄之丞、猪瀬虎之助を輩出している。

流名について

古藤田俊直は「一刀流」を名乗っていた。孫の俊定は一時「唯心流」と称したが「一刀流」に戻し、以後、古藤田家では「一刀流」を名乗っていた。

「唯心一刀流」と名乗ったのは、俊定の弟子の杉浦正景からである。

内容

剣術槍術を伝えていた。


参考文献




唯心一刀流と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「唯心一刀流」の関連用語

唯心一刀流のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



唯心一刀流のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの唯心一刀流 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS