旧民法の施行延期と現行民法の公布
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民法典論争は旧民法の公布の後も収まることはなく、第2次伊藤内閣期の1892年11月、旧民法は1896年12月31日まで施行を延期することが決定され、伊藤博文は内閣法典調査会を設置した。延期の当時は各条文は修正が終わり次第、逐条を施行することができるとされていたが、結果的には第3次伊藤内閣期の1896年4月に旧民法の全部が廃止され、これに替わり現行の民法(明治29年4月27日法律第89号、明治31年法律第9号)が施行された。また、旧民法から分離された法例も同時に廃止され、後継の法例が設置された。 旧民法は、家族員や妻の権利能力をできるだけ強調し、個人の人格を尊重する考え方であり、また長男子による家督相続を認めつつも二・三男以下の相続における地位を補強しようとするものであったが、この旧民法と旧法例に代わる1896年及び1898年の民法と法例の公布により、フランス法学に基づくボアソナードの影響は相対的に低下した。また、後の1905年には相続税法(明治38年1月1日法律第10号)が施行された。 なお初代司法卿であった江藤新平は1874年に40歳で死刑に処され、旧民法も現行民法の成立も見ることはなかった。箕作麟祥は1889年からは東京法学校の初代校長、1893年からは法典調査会主査委員を務め、1897年に51歳で亡くなったが、彼によるフランス法典の翻訳書や解釈書は多く残されている。
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