対立の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 16:28 UTC 版)
「アーセナルFC対マンチェスター・ユナイテッドFC」の記事における「対立の起源」の解説
ミュンヘンの悲劇 1958年2月6日に起こったミュンヘンの悲劇では、センターバックのロジャー・バーン、右サイドハーフのエディ・コールマン、センターハーフのマーク・ジョーンズ、左サイドハーフのエドワーズ、フォワードのテイラー、リアム・ウェラン、デヴィッド・ペッグ、ジェフ・ベントの選手8人を含む23人が死亡した。同年2月1日にハイベリーで行なわれた両者の対戦は、マンチェスター・ユナイテッドにとってはミュンヘンの悲劇が起こる直前の試合となった。ユナイテッドはトミー・テイラー(2得点)、ダンカン・エドワーズ、ボビー・チャールトン、デニス・ヴァイオレットが得点し、5-4で勝利した。 1979年のFAカップ決勝 1979年5月12日、10万人もの観客を集めたFAカップ決勝で両者の対戦が実現した。試合はアーセナルがブライアン・タルボットとフランク・ステープルトンの得点によって、前半を終えて2-0でリード。試合終了5分前でもそのスコアに変化はなかったが、86分にユナイテッドのゴードン・マックィーンがアーセナルのゴールをこじ開けると、その2分後にはサミー・マクロイが同点ゴールを決めた。延長にもつれ込むかと思われたこの試合は、試合終了間際にアーセナルのアラン・サンダーランドが3-2となるゴールを挙げ、終盤のシーソーゲームを制したアーセナルが優勝を果たした。 1989-90シーズン 1986年、アレックス・ファーガソンがユナイテッドの監督に就任したが、1986-87シーズンからの3シーズンはタイトルに手が届かなかった。1989-90シーズン開幕戦の1989年8月19日、ユナイテッドはオールド・トラッフォードにリーグ王者のアーセナルを迎え、スティーヴ・ブルース、マーク・ヒューズ、ブライアン・マクレアー、新加入のニール・ウェブの得点で4-1の勝利を収めた。このシーズンは勝ち点79を獲得したリヴァプールが優勝し、アーセナルは勝ち点62の4位に終わった。しかしユナイテッドは無残なシーズンを送り、降格圏まで勝ち点5差に迫る13位に終わったが、FAカップでは優勝した。
※この「対立の起源」の解説は、「アーセナルFC対マンチェスター・ユナイテッドFC」の解説の一部です。
「対立の起源」を含む「アーセナルFC対マンチェスター・ユナイテッドFC」の記事については、「アーセナルFC対マンチェスター・ユナイテッドFC」の概要を参照ください。
- 対立の起源のページへのリンク