先行的恩寵
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先行的恩寵(せんこうてきおんちょう、Prevenient Grace)とは、救いの恵みに先立って(先行的に)与えられる諸々の恩寵を指す。
4世紀の神学者アウグスティヌスなどによれば、キリストの救いは神の一方的な恵み・恩寵によるものとされる。しかし、人が救いの体験を持つ以前の期間にも、神の恵みは、すべての人・神に背いている罪人にも等しくそれが注がれているとされる。そもそも「死ぬべし」と宣告された罪ある者が、この地上でのいのちを与えられて生きていること自体が恵みゆえなのである。更に、地上のいのちを支えるすべてのことども、いのちを支えるになくてはならない衣食住、社会の秩序、それを維持し保護する政治、犯罪を防ぐ法律や警察といった手段、これらもすべて「先行的恩寵」の中に数えられる。
人を救いの経験へと導くに至る様々な摂理的な要因は「先行的恩寵」の中でも最たるものであるが、その働きを強調するのが、ウエスレアン・アルミニアン神学の特徴とされる。それに対して、改革派神学では、恩寵の概念を「一般恩寵」と「選びの恩寵」とに二分して、「選びの恩寵」に与る者は、神によって救いに選ばれた特定の人のみであって、「一般恩寵」に浴していても、神に選ばれていない者は、「救いの恩寵」に与ることはないとする。改革派神学の基準となるドルト信仰基準の中の「限定贖罪説」を参照のこと。
関連項目
参考文献
- リチャード・テイラー監修、1993、「ウエスレアン神学事典」、福音文書刊行会、p.380.
- 藤本満、1990、『ウエスレーの神学』、福音文書刊行会、p.125ff.
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先行的恩寵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:55 UTC 版)
前者の先行的恩寵に基づく解釈はプロテスタンティズム神学で述べられることが多い。A・E・マクグラスはアウグスティヌスの自由意志論を次のように2段階に分けて整理する。 自然的な人間の自由は肯定される。人間が物事を為すのは自由意志による。 人間の自由意志は罪によって破壊も排除もされていないが、罪によってゆがめられているために、その回復には神の恵みが必要不可欠である。 アウグスティヌスによれば、人間の自由意志はいわば悪の分銅によって傾けられた天秤のようなもので、悪へと向かう深刻な偏りが存するのである。 宮谷宣史は以下のように整理する。 生きとし生ける者は誰でも、キリストの恩恵なしには罪の裁きを免れることは出来ない。 神の恩恵は、人間的な功績によって与えられることはない。 恩恵は全ての人に与えられるわけではない。 恩恵は神の一方的な憐れみにより与えられる。 恩恵が与えられないのは神の裁きによる。 善であれ悪であれ、自分の行為に対しては報いがある。 主への信仰は人間の自由意志による。 宮谷はアウグスティヌスの自由意志論にパウロの影響を認めつつ、アウグスティヌスは罪を「無知」あるいは「無力」として捉え、人間には自由意志があっても善悪を判断する知識あるいは能力がないために、救いの根拠は「人間の」自由意志ではなく、「神の」自由な選びと予定である。 クラウス・リーゼンフーバーによれば、アウグスティヌスにおいて、自由とは歴史を形成する能力であるが、原罪を孕んだ結果、人間の自由は悪へと傾斜することとなり、中立的な自由を失った。しかし神の恩寵により自由な「神の国」において、人間は自らの自由を取り戻すことが出来るが、その段階においても意志の弱さは残る。その時人間が神への愛に貫かれて生きるなら、つまり愛への意志によって恩寵により完成されるならば、もはや罪を犯すことのない自由を得ることが出来る。そして個人はこの救いの過程を通して、歴史の進展に寄与するとした。リーゼンフーバーによれば「アウグスティヌスは、人間本性はアダム以来継受される原罪によって損なわれ、それゆえ神と掟の遵守へと向かうためには、先行する無償の恩寵が必要であると考え」た。 ほかに福田歓一も、アウグスティヌスはペラギウスと自由意志を巡る論争で、自由意志を認めつつも、人間性は「無知」と「無力」のゆえに自由意志によって救いに至ることができないと述べたとして、同じ立場に立つ。金子晴勇『宗教改革の精神』では、アウグスティヌスは自由意志を否定したのではなく、その価値を認めて自由意志を許容したが、人間はその原罪のゆえに自由意志を制限されており、信仰なくしては救いに至ることができないのであると説いたのだといい、これも前者に近い。前者のような理解のもとにアウグスティヌスを発展させて明確に自由意志を否定したのがルターである。
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