ウエスレアン・アルミニアン神学において
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「救いの順序」の記事における「ウエスレアン・アルミニアン神学において」の解説
第二の大きな流れは、アルミニアン神学と呼ばれ、カルヴァンより後代のヤーコプ・アルミニウスによって、カルヴァン主義へのアンチテーゼとして提唱されたものである。 アルミニアン神学では「神の選び・予定」に先立って「神の予知」を説く。神は、誰が信じるようになるかを予め知って、その人々を救いへと選び、予定すると理解する。 人は、すべてアダムの末裔として全的に堕落しているが、そのままの状態でこの地上に生を受けた者はいない。すべての人は、キリストの十字架上の死の恩沢によって、救いに先立つ恩寵を与えられており、その神の先行的恩寵によって、すくなくとも、神の福音の招きに対して応答する能力を備えている。 神の恩寵の必要はなく、人は生まれつき、そのような能力を有するとするのがペラギウス主義で、アルミニウス主義は、ペラギウスの立場とは異なった立場をとる。 福音の招きに対して信仰の応答をする時、神はその信じる者をキリストにあって義と認め(立場的)、また、同時に聖霊のよる永遠のいのちを与えて新生(実質的)させる。新しいいのちに与った者は神の子とされ、神の家族・信仰の家族の一員として迎えられる。 クリスチャンは、確かに永遠のいのちに与っているが、これは生物学的ないのちと区別された神のいのち、キリストのいのちであって、「永遠」との語は、それが失われる可能性がないことを示唆しない。それは信仰、すなわち、信じ続けるという姿勢に条件づけられている。 聖なるものとされたクリスチャンは、転機的な聖化の経験、漸進的な聖化の歩みを通して、なおきよくされ、キリストの花嫁として、天に相応しい者と整えられる。 やがて、キリストの再臨において、生きている者は、栄化を経験し、キリストにあって死んだ者は復活して、永遠の世界に到る。 このほかに、信仰とともに善行を救いのために必要とするローマ・カトリックの教えもあるが、プロテスタント諸教会では、善行は救いの結実であるとして、救いの条件としては認めていない。
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