とうようせんきょうかい 【東洋宣教会】
東洋宣教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 18:17 UTC 版)
福音派・きよめ派の源流の一つ |
ホーリネス |
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人物 |
中田重治 |
東洋宣教会(とうようせんきょうかい、英語:Oriental Missionary Society, 略称:OMS)は、1905年に東京で設立された、アメリカのホーリネス系の国際的宣教団体。現在のOMSInternational
歴史
- 1905年、中田重治とチャールズ・カウマンが東京で設立する。東洋宣教会の名称は、中国をはじめアジア諸国に伝道するといという方針の下に付けられた。中田重治と笹尾鉄三郎、カウマン夫妻、アーネスト・キルボンの五名が幹部として運営をした。
- 1917年10月、OMSから独立した別組織である、日本人による教団の東洋宣教会ホーリネス教会が設立されて、中田重治が監督に就任する。カウマン夫妻を後事を中田とキルボンに託して、アメリカに帰国する。OMSの本部をロサンジェルスに移す。
- 1924年、初代総理チャールズ・カウマンが死去して、アーネスト・キルボンが二代目総理に選ばれる。レテー・カウマンが副総理になる。
- 1928年、アーネスト・キルボンの死去に伴って、レテー・カウマンが三代目総理に選ばれる。
- 1949年、OMSの援助のもとに、日本ホーリネス教団が設立される。レテー・カウマンが引退する。
参考文献
- 山口幸子『ホーリネスの流れ』ホーリネス教団出版局、1999年
東洋宣教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/11 10:10 UTC 版)
1897年 日本メソジスト教会の伝道者であった中田重治はムーディー聖書学院に留学後、帰国後メソジストの巡回伝道師になった。 1901年 中田はメソジストを離れ、チャールズ・E・カウマン夫妻と共に神田神保町に中央福音伝道館と聖書学校を設立した。後にアーネスト・A・キルボン、笹尾鉄三郎もこの働きに加わった。1905年には東洋宣教会という組織になる。
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