東洋宣教会ホーリネス教会時代(1917-1928)
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「中田重治」の記事における「東洋宣教会ホーリネス教会時代(1917-1928)」の解説
詳細は「日本ホーリネス教会」を参照 1917年10月25日より、東洋宣教大会が聖書学院で開かれて、東洋宣教会から独立した新教団を設立する。28日には中田は東洋宣教会の理事であったが、新教団の新監督に就任して、新監督按手式が行なわれた。「小さき群れよ、恐るる勿れ」と題して説教をした。10月31日に新教会任命式を行い、東洋宣教会ホーリネス教会 が設立される。この日はルターの宗教改革四百年記念の日であった。 ホーリネス教会設立と共に、東洋宣教会総理のチャールズ・カウマンは、中田に大部分の責任を譲った形になった。 この年、機関紙『焔の舌』を『聖潔の友』と改題した。この雑誌は、中田が主筆で、最初は月刊であったが、後に週刊になった。
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