東洋宣教会の理事
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1929年(昭和4年)3月23日より、聖書学院でホーリネス大会が開かれて、中田と金森とレテー・カウマンが説教した。その年会で東洋宣教会の理事会に加わることになり、中田が公式に創立者の一人として認められた。また、教職の試験を撤廃することになった。 そこで、宗教法案反対の日本基督教会の日匹信亮がきたので宗教法案に共に反対することを宣言した。そして、東洋宣教会ホーリネス教会財団法人を組織することになり、東洋宣教会の淀橋区柏木と牛込区の財産をホーリネス教会に譲渡することが決まった。その年会で中田あやめが按手礼を受け、正式に日本ホーリネス教会の教職になる。
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