大江邦治
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大江 邦治(おおえ くにはる、1867年12月9日 - 1968年6月5日)は、日本の牧師、教育者。戦前から戦後にかけての日本アライアンス教団の指導者。[1]
注釈
- ^ 後に牧師を辞めて政治家になり、社会党の重鎮になる。日本の社会主義者であり、キリスト教的人道主義の立場から社会主義を活発に宣伝し、日本社会主義運動の先駆者であった。
- ^ その後、パゼット・ウィルクスの多数の著書の翻訳を行う(都田 1988, pp. 211)
- ^ 長男捨一が当時聖書学院の修養生であった。捨一は日本ホーリネス教会の中田重治監督の長女陸奥と結婚する。その関係で一時日本ホーリネス教会に所属した。(米田 1959, pp. 211)
- ^ 日本協同基督教会は、1940年に日本イエス・キリスト教会、基督伝道隊と共に、日本伝道基督教団を結成する。日本政府の認可を受ける教団組織を形成するためであった。翌年、1941年の宗教団体法の成立により、組織された日本基督教団の第7部として加入する。(中村 2000, pp. 110)
出典
[続きの解説]
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