アライアンス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 16:04 UTC 版)
1926年(大正15年)にアライアンス・ミッションに入会する。 1929年(昭和4年)3月の日本ホーリネス教会の年会で、東洋宣教会の聖書学院の教授に任命された。次男の大江信が副舎監に任命された。 その後、1931年(昭和6年)アライアンス・ミッションから日本協同基督教会が独立すると、アライアンスに戻り指導者になる。 戦争中は、1941年(昭和16年)より日本基督教団に統合されるが、戦後1949年(昭和24年)8月に日本基督教団を離脱して日本アライアンス教団を設立する。また、邦治は1950年(昭和25年)、広島市で再建された日本アライアンス神学校の校長に就任する。これより、戦後は、きよめ教会を辞めた長男捨一と共に、日本アライアンス教団の指導者として活躍する。 1962年(昭和37年)にアライアンス神学校を引退し、捨一が引き継ぐ。1968年(昭和43年)広島で101歳で死去する。
※この「アライアンス時代」の解説は、「大江邦治」の解説の一部です。
「アライアンス時代」を含む「大江邦治」の記事については、「大江邦治」の概要を参照ください。
- アライアンス時代のページへのリンク