寺西是成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/12 04:16 UTC 版)
寺西 是成(てらにし これなり)は、安土桃山時代の武将、大名。諱は清行(きよゆき)[1]、忠澄(ただずみ)ともある。通称は次郎介(次郎助)[2]。関ヶ原での改易後、剃髪して吸庵(きゅうあん)と名乗った。
- ^ 「寺西下野守清行」の署名がある一次史料が幾つかある。
- ^ 一次史料には「寺西筑後守」(父)と「寺西次郎介」の連署されているものが多い。
- ^ 『二本松市史 第5巻』p.780
- ^ 『松浦古事記』による。
- ^ 須田茂『徳川大名改易録』(崙書房出版、1998年)100頁
- ^ 阿部 1990, p. 528.
- ^ a b c d e f 高柳 & 松平 1981, p. 160.
- ^ 『慶長3年大名帳』にも「寺西下野守・1万石」とある。
- ^ 『二本松市史 第5巻』p.779
- ^ 『二本松寺院物語』p.153
- ^ 是成の後は伊予守是成-四郎兵衛是正-正清-清房-栄清-弥清-清則-清緩。是正の二男六左衛門是賢も二本松藩士となり、是賢-克良-成景-良得-倫良-良知-良正と続いている[9]。この家の菩提寺は二本松市法輪寺である[10]。
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