寺西暢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 13:42 UTC 版)
寺西 暢(てらにし ちょう、1896年 - 1938年8月)は日本の昆虫研究家である[1]。テラニシセスジゲンゴロウやテラニシハリアリは同氏に献名されたものである[1]。
経歴
1896年(明治29年)生まれ、大阪出身[1]。東京農業大学を卒業後もアミメアリの働きアリが産卵することを発見、報告するなど主にアリの研究を続けていた[1][2]。1930年(昭和5年)に竹内吉蔵と共に関西昆虫学会を創立し[3]、東成区生江町の自宅に事務所を置いていた[4]。
晩年は病床に伏しており、1938年(昭和13年)の8月上旬に死去した[5]。死後に遺稿集が発行されている[6]。
脚注
- ^ a b c d “なにわのナチュラリスト紹介”. www.omnh.jp. 2025年5月18日閲覧。
- ^ 『全集日本動物誌』27,講談社,1984.7. NDLJP:12637332 (参照 2025-05-18)
- ^ 一色,周知「故竹内吉蔵氏略歴」『昆蟲』36(3),東京昆蟲學會. NDLJP:10650909 (参照 2025-05-18)
- ^ 関西昆虫学会 編『関西昆虫学会々報』第2号,関西昆虫学会,昭和6. NDLJP:1119369 (参照 2025-05-18)
- ^ 『動物文学』46,白日荘,1938-10. NDLJP:1591835 (参照 2025-05-18)
- ^ 『寺西暢遺稿集』,寺西博,1940.8. NDLJP:1907887 (参照 2025-05-18)
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