西郷寿員とは? わかりやすく解説

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西郷寿員

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/12 14:02 UTC 版)

 
西郷 寿員
時代 江戸時代中期
生誕 延宝元年(1673年
死没 寛保元年10月19日1741年11月26日
改名 万之丞(幼名)→重員(初名)→寿員
別名 靭負(通称)、治員
戒名 縁生院殿同夢日諦大居士
官位 従五位下、正、越中
幕府 江戸幕府
安房東条藩主→下野上田藩
氏族 大村氏西郷氏
父母 父:大村純長、母:相沢氏
養父:西郷延員
兄弟 大村純真大村純尹、大田原清勝、大村純庸寿員
正室:西郷延員の娘
養子:西郷忠英
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西郷 寿員(さいごう ひさかず)は、江戸時代中期の大名旗本交代寄合)。安房東条藩の第3代藩主、下野上田藩主。

生涯

延宝元年(1673年)、肥前大村藩主・大村純長の五男として生まれる。貞享5年(1688年)7月29日、安房東条藩第2代藩主・西郷延員の婿養子となる。徳川綱吉の寵愛を受けて、元禄2年(1689年)5月18日に御小姓となる。12月7日に従五位下、越中守に叙任する。元禄3年(1690年)12月25日、養父の隠居により家督を継ぐ。元禄5年(1692年)2月7日、下野上田藩に移封され、元禄6年(1693年)11月13日に中奥小姓となるが[1]、12月9日に先年に処罰された延員と同じく不行状、勤務怠慢などの罪を咎められて所領の半分を没収され、上田藩は廃藩となった。その後、西郷家は5000石の交代寄合となった。

元文3年(1738年)に隠居。寛保元年(1741年)に死去、享年69。跡を大田原清勝の子の忠英が養子となって継いだ。

脚注

  1. ^ 須田茂『徳川大名改易録』(崙書房出版、1998年)212頁



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