伊達藩とは? わかりやすく解説

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仙台藩

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 00:47 UTC 版)

仙台藩(せんだいはん)は、江戸時代から明治初期にかけて陸奥国仙台城藩庁を置き、外様大名伊達本家が治めた藩である。伊達藩(だてはん)と呼ばれることもある。表高は62万であり、所領として現在の宮城県全域、岩手県南部および福島県新地町計約60万石を一円知行で治め、現在の茨城県[1]および滋賀県に合計約2万石の飛び地があったが、戊辰戦争後に28万石に減封となり、その石高で廃藩置県を迎えた[2]


注釈

  1. ^ ただし、江戸時代初期の武鑑では、薩摩藩石高のうちの琉球王国分12万石を含めないで序列を決めたために、薩摩藩より上の第2位に書かれることもあった。
  2. ^ この時期、政宗がスペインや大久保長安と結んで倒幕を図っていたという説がある。こうした説は明治時代から存在したが[8][9]、これには批判もある[10]
  3. ^ 仙台藩では、本陣のことを外人屋と称した。現在の仙台市青葉区国分町二丁目。のちに南條小児科医院が開院した場所。現在、同院はない。
  4. ^ 後見人に伊達宗勝田村宗良
  5. ^ 後見人に堀田正敦
  6. ^ 『読書余適』は仙台侯国の石高を200万石と記述しているが、その根拠を記せず、それにもかかわらず飢饉で餓死者数万人を出したという文章に繋がる。一方『東潜夫論』は、仙台藩について「150万の人口と伝えられており、250万石を越えるに違いない」という、前提となる人口自体が過剰となる伝聞による石高推論である。『東潜夫論』では佐渡12万石(1万7,000石)、隠岐6万石(5,000石)と、太閤検地の10倍の数値が示されており注意を要する。
  7. ^ ただし、幕末の仙台藩は、幕府に対してほぼ毎年50万石の損毛高を報告し続けており、実態以上の被害を報告することで普請免除を正当化したとみられる。
  8. ^ 人口の復元方法は主に高木正朗・新屋均(2006年)による。なお人口に関しては古文書にみられる数字を尊重し、記録のない時期に関しては、江戸時代初期の人口は会津藩の公式人口記録(『会津家世実記』)、江戸時代末期の人口は西磐井郡狐禅寺村・下油田村・峠村・中村、東磐井郡赤生津村・大籠村・新沼村・増沢村・保呂羽村の人別改帳の人口を元に再現している。
  9. ^ それにもかかわらず仙台藩側は宇和島藩を配下扱いしたため、両藩の関係は良好とはいえないものとなった。(本家末家論争の項も参照のこと)
  10. ^ 伊達家の古くからの家臣には、江戸時代前期までに改易や降格、中枢から外れるなどの憂き目に遭った家が少なくない。奥州仕置による旧領喪失、政宗の指示に従ったことから豊臣秀吉によって改易となった元戦国大名層など丁重に遇さざるを得ない家が新たにいくつも最上層に加わったことは、従来の勢力均衡を崩し、不満と新旧の対立が生じ、伊達騒動にまで影響した可能性は否めない。
  11. ^ 仙台藩では家老職を奉行と称した。
  12. ^ ただし、譜代家臣、家格の高い家の分家筋や親族なども多く、すべてが政宗時代に新たに召し抱えられたわけではない。

出典

  1. ^ 仙台領柱
  2. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「仙台藩」
  3. ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』
  4. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典4 宮城県』32-33頁。
  5. ^ 小倉博, 『仙臺』(1924)
  6. ^ 大泉光一『支倉常長 慶長遣欧使節の悲劇』中央公論新社、1999年など。
  7. ^ 田中英道『支倉常長 武士、ヨーロッパを行進す』ミネルヴァ書房、2007年、pp. 58-64.など。
  8. ^ 箕作元八「伊達政宗羅馬遣使の目的」『史学界』三の十一、1901年
  9. ^ 阿部秀助「大久保長安と伊達政宗」『史学界』五の一、1903年
  10. ^ 小林清治『伊達政宗の研究』吉川弘文館、2008年、239-242頁)。
  11. ^ 『仙台藩士幕末世界一周』荒蝦夷 2010年
  12. ^ 佐藤大介 著 中塚武 監修「第三章 文化期の気候と加賀藩農政」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』p212-214 2020年11月30日 臨川書店 全国書誌番号:23471480
  13. ^ 白鳥事件について” (PDF). 柴田Y2ネトワーク. 2019年2月14日閲覧。
  14. ^ <奥羽の義 戊辰150年>(34)新政府兵に発砲 領主切腹”. 河北新報オンラインニュース (2019年1月13日). 2019年2月13日閲覧。
  15. ^ 新田完三「内閣文庫蔵諸侯年表」東京堂出版 436p
  16. ^ 『仙台市史』通史編5(近代1)46頁。
  17. ^ 『仙台市史』通史編5(近代1)49頁。
  18. ^ 逸見英夫 著 「明治・大正・昭和 仙台じけん帳」(河北新報ISBN 4-87341-162-9)の23頁。
  19. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus「伊達慶邦」
  20. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus「伊達宗基」
  21. ^ a b c d e (a) 玉山勇, 「江戸時代の人口問題 ―仙台藩の場合―」 『国民経済雑誌』 73巻(1号), pp. 63–94 (1942). (b) 『岩手県史』 4巻 近世編(1). (c) 『宮城県史』 2巻 近世史. (d) 高木正朗, 新屋均, 「近世国家の人口とその趨勢 ―仙台藩郡方・一関藩村方人口の復元: 1668–1870年―」 『立命館大学人文科学研究所紀要』 (87号), pp. 7–39 (2006). (e) 土屋喬雄, 『封建社会崩壊過程の研究』, 弘文堂, 1953.
  22. ^ (a) 勧農局編, 『全国農産表』/『農産表』, 1876-1882. (b) 中村哲著, 『明治維新の基礎構造』, 未来社, 1966.
  23. ^ 国立国会図書館. “仙台藩における馬の歴史(馬政史)、宮城県の馬政史について。”. レファレンス協同データベース. 2022年9月18日閲覧。
  24. ^ 1 市域の変遷 2 北上市の位置 (PDF) (北上市)
  25. ^ 国勢調査(北上市)
  26. ^ 市の面積 (PDF) (釜石市)
  27. ^ 18 地域別人口及び世帯の推移 (PDF) (釜石市)
  28. ^ a b c d e f g h i 平成22年全国都道府県市区町村別面積調国土交通省国土地理院
  29. ^ a b c d e f g 岩手県(農林水産省「市町村の姿 グラフと統計で見る農林水産業」)
  30. ^ a b c d e f g いわての統計情報(岩手県)
  31. ^ 宮城県(農林水産省「市町村の姿 グラフと統計で見る農林水産業」)
  32. ^ 平成17年国勢調査1次結果 - 宮城県統計課
  33. ^ 福島県 新地町(農林水産省「市町村の姿 グラフと統計で見る農林水産業」)
  34. ^ 平成17年国勢調査(福島県)
  35. ^ {国宝大崎八幡宮 仙台・江戸学叢書15 『本石米と仙台藩の経済』」(大崎八幡宮、2009年10月30日発行) P.15 - P.18
  36. ^ 「『仙台市史』通史編3 近世1」(仙台市、2001年9月発行) P.150 - P.154
  37. ^ 1 研究ノート 「岩手県の誕生」 (PDF) (岩手県立博物館だより)
  38. ^ 金井圓「給人前」『国史大辞典』第4巻、吉川弘文館、1984年 P248
  39. ^ 現地説明板「仙台藩祖伊達政宗 終焉の地」(2014年、仙台市)
  40. ^ 慶長15年(1610年)に秀忠の上杉邸への御成りがあり、能や茶会などの饗応が行なわれている。(「国宝 上杉家文書」)





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