江戸文学への影響
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浅井了意 『御伽婢子』 には2編の翻案作品がある。巻二の三 《狐の妖怪》は、巻三の五『胡媚娘伝』の、巻三の四 《梅花屏風》は、巻四の四『芙蓉屏記』の翻案である。 青木鷺水の浮世草紙 『御伽百物語』 (おとぎひゃくものがたり、1706年)の《花形の鏡》は、巻一の四 『何思明遊酆都録』から着想。 林義端の『玉箒木』(たまははき、1696年) 第三巻の一 《詩人の亡魂月見の会 付けたり 清水寺詩の事》は、巻三の二 『武平靈怪録』から着想。 草官散人 纂述 『垣根草』(かきねぐさ、1770年)第四話 《在原業平文海に託して冤を訴ふる事》は、巻一の一 『長安夜行録』の、第七話 《宇野六郎廃寺の怪に遭ふ事》は第三巻の二『武平靈怪録』の換骨脱胎作である。
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江戸文学への影響
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初めに挙げられるものとして『奇異雑談集』(きいぞうだんしゅう)があり、これに『剪灯新話』から3篇が翻訳されている。次に、池田正式『霊怪艸』(れいかいそう、あやしぐさ)には『剪灯新話』から8篇が翻訳されている。 江戸文学で、大きな影響が顕著ものは浅井了意の『御伽婢子』13巻68篇(1666年、瓢水子松雲処士名義で上梓)である。 ―― 浅井了意 作 《御伽婢子》の典拠 ―― ( )内は『剪灯新話』の元作品掲載書名。 《御伽婢子》 巻之一 1 『竜宮の上棟』 (1-1 『水宮慶会録』から着想) 巻之一 2 『黄金百両』( 1-2 『三山福地誌』の翻案) 巻之二 1 『十津川の仙境』 (2-2 『天台訪隠録』の翻案) 巻之二 2 『真紅撃帯』 (1-4 『金鳳釵記』の翻案) 巻之三 2 『鬼谷に落て鬼となる(了仙貧窮 付天狗道)』 (4-2 『太虚司法伝』の翻案) 巻之三 3 『牡丹燈籠(祈て幽霊に契る)』 (2-4 『牡丹燈記』の翻案) 巻之四 1 『地獄を見て蘇る』 (2-1 『令狐生冥夢録』の翻案) 巻之四 2 『夢のちぎり』 (2-5 『渭塘奇遇記』の翻案) 巻之五 2 『幽霊評諸将』 (4-1 『竜堂霊怪録』の翻案) 巻之五 3 『焼亡有定限』 (3-1 『富貴発跡司志』から着想) 巻之六 3 『遊女宮木野』 (3-4 『愛卿伝』の翻案) 巻之七 6 『菅谷九右衛門』 (1-3 『華亭逢故人記』の翻案) 巻之八 2 『邪神を責殺』 (3-2 『永州野廟記』の翻案) 巻之八 3 『歌を媒として契る』 (1-5 『聯芳併記』から着想) 巻之九 3 『金閣寺の幽霊に契る』 (2-3 『滕穆酔遊聚景園記』の翻案) 巻之十 6 『了仙貧窮 付 天狗道』 (4-3 『修文舎人伝』の翻案) 巻之十一 1 『隠里』 (3-3 『申陽洞記』の翻案) 巻之十二 2 『幽霊書を父母につかはす』 (3-5 『翠翠伝』の翻案) 巻之十一 3 『易生契』 (4-5 『緑衣人伝』の翻案) 同じく浅井了意『狗張子』は未完で、没後の1692年刊行であるが、これにも『剪灯新話』からの翻案が収録されている。 その他、林羅山 『怪談全書』 (1688年) 巻第四の六 に『金鳳釵記』が、都賀庭鐘 『英草子』(1749年)には『牡丹燈記』末段の翻案が、上田秋成 『雨月物語』の『浅茅が宿』(『愛卿伝』の翻案)、『吉備津の罐』(『牡丹燈記』から着想)などがある。後の時代の三遊亭圓朝の落語 『牡丹灯籠』は、これらの影響を受けた作品として著名である。
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江戸文学への影響
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『今古奇観』は選集であるので、駄作も少なく手軽に読めることもあって、江戸時代に日本でも流行し、影響を与えた。 就実大学の丸井貴史によって、『今古奇観』の諸本が整理され、『今古奇観』と江戸文学との具体的な関わりが明らかになった。丸井貴史は、都賀庭鐘『英草紙』と最も近い本文を持つものは『今古奇観』同文堂本bであること、上田秋成『雨月物語』は『今古奇観』所収作品を利用していないこと、式亭三馬『魁草紙』が『今古奇観』に改変を施して成立したことなどを指摘している。 日本語訳は江戸時代から行われ、1761年に風流快史〉による、第七卷 『賣油郎獨占花魁』の抄訳『通俗赤縄奇縁』がある。 また、第二十七卷 『錢秀才錯占鳳凰儔』は森羅子 作 『月下清談』(1798年)の粉本である。1816年には、淡斎主人 訳 『通俗古今奇観(つうぞくこきんきかん)』という抄訳版本も刊行された。これにも第七卷 『賣油郎獨占花魁』が含まれており、江戸の人気作品だったことが想像される。 ―― 翻案作品等 ―― ( )内は影響を与えた『今古奇観』の作品。 浅井了意 作 《御伽婢子》 1666年、第三巻 『藤原基頼卿海賊に逢事』(第三十七卷 崔俊臣巧會芙蓉屏 の翻案) 同 上 《狗張子》 1692年、第七巻 『飯森兵助陰徳の報い』(第十六卷 李講公窮邸遇俠客 の翻案) 都賀庭鐘 作 《古今奇談 英草紙》 1749年、第二編 『馬場求馬妻を沈て樋口が聟と成話』(第三十二卷 金玉奴棒打薄情郎 の翻案) 同 上 《古今奇談 英草紙》 1749年、第三編 『豊原兼秋音を聴て国の盛衰を知話』(第十九卷 俞伯牙摔琴謝知音 の翻案) 同 上 《古今奇談 英草紙》 1749年、第四編 『黒川源太主山に入て通を得たる話』(第二十卷 莊子休鼓盆成大道 の翻案) 同 上 《古今奇談 英草紙》 1749年、第六編 『三人の妓女趣を異にして各名を成話』(第一卷 三孝廉讓一產立高名 の翻案) 同 上 《古今奇談 英草紙》 1749年、第九編 『高武蔵守婢を出して媒をなす話』(第四卷 裴晉公義還原配 の翻案) 同 上 《古今奇談 繁野話》 1766年、第八編 『江口の遊女薄情を恨みて珠玉を沈むる話』(第五卷 杜十娘怒沉百寶箱 の翻案) 同 上 《垣根草》 1770年、巻の三『靭晴宗夫妻再生の縁を結ぶ事』(第三十七卷 崔俊臣巧會芙蓉屏 の翻案、第二十六卷 蔡小姐忍辱報仇 も加味) 同 上 《垣根草》 1770年、巻の四『山村が子孫九世同居忍の字を守る事』の後半部分(第二十九卷 懷私怨狠仆告主 の翻案) 同 上 《垣根草》 1770年、巻の五 『環人見春澄を激して家を興さしむる事』(第二卷 兩縣令競義婚孤女 から設定を着想) 同 上 《莠句冊》 1786年、第三編 『求冢俗説の異同冢の神の霊問答の話』(第十七卷 蘇小妹三難新郎 から設定を着想) 上田秋成 作 《雨月物語》 1768年、第二編 『菊花の約』(これは『古今小説』 第十六巻 『范巨卿雞黍死生交』の翻案だが、第十九卷 俞伯牙摔琴謝知音 も参照) 曲亭馬琴 作 『高尾船字文』 1796年、連判状発見のくだり(第三卷 滕大尹鬼斷家私 から着想) 同 上 『小説比翼文』 1804年、(第二十八卷 喬太守亂點鴛鴦譜 の換骨奪胎作) 同 上 『椿説弓張月、『そのゝゆき』 1807年、の一部(第三十二卷 金玉奴棒打薄情郎 の翻案) 同 上 『近世説美少年録』 1828-1834年 第26回後半から第18回まで(第三十九卷 夸妙術丹客提金 の翻案) 同 上 『開巻驚奇侠客伝』 20巻 (1832-1835年、未刊)発端(第十八卷 劉元普雙生貴子 から着想) 森羅子(しんらし、森島中良) 作 『月下清談』 1798年 (第二十七卷 錢秀才錯占鳳凰儔 の翻案) 南仙笑楚満人(なんせんしょうそまひと) 作 『秋色染話萩の枝折』 1824-1927年頃、(第二十八卷 喬太守亂點鴛鴦譜 の換骨奪胎作) 雲府観天歩(うんぷかんてんぽ) 作 『雪炭奇遇』5巻 1803年 (第三十卷 念親恩孝藏兒 の翻案) 石川雅望 作 『天羽衣』 1808年 (第二卷 兩縣令競義婚孤女 の骨子) 平春海(たいらはるみ、村田春海) 未刊の作 『竺志船物語』 1814年(第二十六卷 蔡小姐忍辱報仇 の翻案、第三十七卷も参照) 司馬芝叟 作 講釈(長咄)『油売郎』 ― 出版は芝叟没後の1816年(第七卷 賣油郎獨占花魁 の翻案)近松徳叟(ちかまつとくそう、近松徳三) 作 芝居 『侠顔廓日記』1801年 及び 改作 『油商人廓話』 1803年の粉本(芝叟『油売郎』の翻案) 講談、浪曲、落語 『紺屋高尾』・『名物幾代餅』(芝叟『油売郎』の翻案) 十返舎一九 作 『通俗油売郎』1824年 (第七卷 賣油郎獨占花魁 の翻案)
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江戸文学への影響
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江戸時代初期に日本に伝来し、林羅山が元和元年(1615年)に訓点をほどこし、羅山の門下生が伝写して次第に世間に広まり、慶安2年(1649年)には安田十兵衛開板の仮名草子風『棠陰比事物語』などが出版され、元禄年間には広く流布するようになった。林羅山旧所蔵の抄本は内閣文庫に収蔵されている。。『包公案』とともに、井原西鶴の『本朝桜陰比事』 (1689年)、『本朝藤陰比事』、滝沢馬琴の『青砥藤綱摸稜案』、『板倉政要』や大岡政談などに影響を与えた。
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