江戸文字鎖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 05:46 UTC 版)
この名跡は、江戸時代(天保~安政)期に広く知られた文字鎖(「江戸文字鎖」またの名を「江戸言葉唄」)で詠われている。文字鎖とは修辞法の一つで尻取りの一種である。この尻取りが余りに有名な為恐らくこの頃の子供で桂文治を知らないものはなかった。 牡丹に唐獅子竹に虎 →「虎」 虎を踏まえて和藤内 →「藤内/内藤」 内藤様は下がり藤 →「ふじ」 富士見西行うしろ向き →「むき」 むき身はまぐりばかはしら →「はしら」 柱は二階と縁の下 →「下」 下谷上野の山かづら →「かつら」 桂文治は噺家で →「で」 でんでん太鼓に笙の笛 →「え」 (以下略) この桂文治は江戸3代目のことである。この文字鎖は国立演芸場に掲示してあるほか、小島貞二の遺作『こんな落語家がいた』に掲載されている。
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