滝沢馬琴
滝沢 馬琴 (たきざわ ばきん)
1767〜1848 (明和4年〜嘉永元年) |
【読本作者】 失明の逆境で執筆を続け、『南総里見八犬伝』を28年をかけて完結。 |
読本作者。江戸深川出身。曲亭馬琴とも。1790年、山東京伝の門に入る。滑稽本よりも物語性が強い読本を、山東京伝とともに次々と発表、第一人者となる。後年は、天保の改革による弾圧や自身の失明などの逆境の中にあって『南総里見八犬伝』を28年かけて完成させた。ほか、「椿説弓張月」「近世説美少年録」などがある。 |
年(和暦) | ||
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 | 5才 |
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 16才 |
●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 | 22才 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 | 23才 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 | 24才 |
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 | 30才 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 | 36才 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 | 39才 |
●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 | 41才 |
●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 | 58才 |
●1828年 (文政11年) | ■シーボルト事件 | 61才 |
●1829年 (文政12年) | ■江戸大火 | 62才 |
●1830年 (天保元年) | ■伊勢御蔭参り大流行 | 63才 |
●1837年 (天保8年) | ■大塩平八郎の乱 | 70才 |
●1839年 (天保10年) | ■蛮社の獄 | 72才 |
・山東 京伝 | 1761年〜1816年 (宝暦11年〜文化13年) | +6 |
・酒井 抱一 | 1761年〜1828年 (宝暦11年〜文政11年) | +6 |
・高橋 至時 | 1764年〜1804年 (明和元年〜文化元年) | +3 |
・十返舎 一九 | 1765年〜1839年 (明和2年〜天保10年) | +2 |
・雷電 為衛門 | 1767年〜1825年 (明和4年〜文政8年) | 0 |
・佐藤 信淵 | 1769年〜1850年 (明和6年〜嘉永3年) | -2 |
・近藤 重蔵 | 1771年〜1829年 (明和8年〜文政12年) | -4 |
・徳川 家斉 | 1773年〜1841年 (安永2年〜天保12年) | -6 |
滝沢馬琴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 15:18 UTC 版)
毎回、ナレーションで語られ、彼の書く日記がその回の出来事に大きく起因している。
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