本居春庭とは? わかりやすく解説

もとおり‐はるにわ〔もとをりはるには〕【本居春庭】

読み方:もとおりはるにわ

[1763〜1828]江戸後期国学者伊勢の人。号、後鈴屋(のちのすずのや)。宣長長男眼病患って失明したため、父の養子大平家督譲り、自らは鍼医(はりい)を業としながら歌道国学教授した。著「詞通路(ことばのかよいじ)」「詞八衢(ことばのやちまた)」「後鈴屋集」など。


本居春庭

読み方もとおり はるにわ

江戸後期国学者幼名、のち健亭、号は後鈴屋本居宣長長男伊勢国松阪生。32才で失明し鍼術を業とした。家督大平に継がせ、自らは宣長学問受継ぎ、『詞のやちまた』『詞乃通路』等、語学研究上の名著出し国語学史上不朽の貢献をした。門人東条義門足代弘訓等がいる。文政11年(1828)歿、66才。

本居春庭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 13:39 UTC 版)

本居 春庭(もとおり はるにわ、宝暦13年2月3日1763年3月17日) - 文政11年11月7日1828年12月13日))は、江戸時代後期の国学者国語学者本居宣長の実子で長男通称は健亭。は後鈴屋。


注釈

  1. ^ この年の5月25日に実父の本居宣長は、松坂中町の旅籠「新上屋」に宿泊していた賀茂真淵と生涯一度限りの対面を果たしている(「松阪の一夜」)[1]
  2. ^ 父と同じ。
  3. ^ 本居宣長記念館所蔵の写本の大半が春庭による筆写である[2]
  4. ^ 2月20日付の宣長による千家俊信書簡に「盲」の字が確認できる。
  5. ^ 例えば黒川真頼の『詞の栞』には、義門が『詞八衢』における春庭の説を展開して著した『詞の道しるべ』の受容が指摘されている[9]

出典

  1. ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 4.
  2. ^ a b c d 中村朱美 (2016), p. 61.
  3. ^ a b c d e 中村朱美 (2016), p. 60.
  4. ^ 中村朱美 (2016), pp. 60–61.
  5. ^ 本居宣長墓(樹敬寺) 附 本居春庭墓”. 三重県|文化財. 2018年2月28日閲覧。
  6. ^ a b 本居宣長記念館 (2018), p. 22.
  7. ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 17.
  8. ^ 田尻佐 (1975), p. 52「特旨贈位年表」
  9. ^ 遠藤佳那子 (2019), p. 189(初出:遠藤佳那子 2017
  10. ^ 中村朱美 (2016), pp. 61–62.
  11. ^ 中村朱美 (2016), pp. 62–63.


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