本居豊穎とは? わかりやすく解説

もとおり‐とよかい〔もとをりとよかひ〕【本居豊穎】

読み方:もとおりとよかい

1834〜1913]国学者歌人。内遠の長男で、宣長曽孫にあたる。紀州侯に仕え明治維新後は神道界活動。著「古今集講義」など。


本居豊穎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 05:28 UTC 版)

本居 豊穎
人物情報
生誕 (1834-06-05) 1834年6月5日
江戸幕府 紀伊国(現・和歌山県
死没 1913年2月15日(1913-02-15)(78歳没)
学問
研究分野 国学
研究機関 古学館・教部省
学位 文学博士
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本居 豊穎(もとおり とよかい、天保5年4月28日1834年6月5日[1] - 大正2年(1913年2月15日[2])は、明治期に活躍した国学者本居宣長の義理の曾孫にあたる。幼名稲楠、通称中衛、和号秋屋[3]

経歴

父は本居内遠、母は藤子。紀州和歌山に生まれる。父が亡くなった後は、母の教導を得て家学を修め、紀州藩が江戸に設置した藩校古学館の教授となる。

明治維新後はその家系を重んぜられて、神祇官に出仕した。教部省において神道大教正に進んだほか、国学者として東京帝国大学國學院東京女子高等師範学校などに講師として招かれた[3]大正天皇の皇太子時代には東宮侍講を勤め[3]御歌所寄人・1906年には帝国学士院会員ともなる。また国学・和歌の興隆を願って大八洲学会を主宰した。明治24年(1891年)に三条実美が死去した際に葬儀斎主を務めた[4]。明治42年(1909年)、業績により文学博士号を授与される。大正2年(1913年)2月15日に脳溢血のため死去[5]

栄典

位階
勲章

家族・親族

男子に恵まれず、同じ国学者の松野勇雄を婿養子に迎えたが、まもなく同家を去った。その後、国学者である雨宮干信(ゆきのぶ)を迎え、干信と娘並子の間に長世が誕生したが、長世が1歳のときに並子が他界した。並子の死後、干信は本居家に馴染めずやむなく同家を去り、 豊穎は残された孫の長世を後嗣とした。

  • 父:本居内遠
  • 弟:荒巻利蔭は歌人・音楽家。
  • 弟:徳田正稔は陸軍大佐。

著書

豊穎の著書には、『古今和歌集』の注釈たる『打聴鶯蛙集』『古今集講義』、歌集『秋屋集』『秋屋集拾遺』、祭詞集『諄辞集』などがある。

  • 『大八洲歌集』大八洲学会、1888年。
  • 『古今和歌集講義』大八洲学会、1887年-1889年。
  • 『車の直路』大八洲学会、1890年。
  • 『諄辞集』会通社、1895年。
  • 『本居雑考』好古社、1904年。
  • 『秋屋集』1902年-1904年。
  • 『玉鉾集』稽照館、1892年-1906年。
  • 『紫文摘英』日高有倫堂、1906年6。
  • 『教育の淵源』金港堂、1911年。
  • 『校定古事記』井上頼圀上田万年共編、皇典講究所、1911年。

脚注

  1. ^ 生年は天保9年(1838年)説もある。
  2. ^ 『官報』第164号、大正2年2月18日。
  3. ^ a b c 山崎 1920, p. 64.
  4. ^ 『官報』第2291号、明治24年2月21日。
  5. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)309頁
  6. ^ 『官報』第5415号「叙任及辞令」1901年7月22日。
  7. ^ 『官報』第6926号「叙任及辞令」1906年7月31日。
  8. ^ a b 『官報』第163号「叙任及辞令」1913年2月17日。

参考文献

  • 山崎伝之助『和歌山県人材録 前編』和歌山日日新聞社印刷部、1920年。 



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