原久胤とは? わかりやすく解説

原久胤

読み方はら ひさたね

国学者通称新(真)左衛門。号契月桂月五十舎。相模大槻の人。本居春庭入門のち清原雄風富樫広蔭門。『五十』の著書がある。詠歌にも長ず弘化元年(1844)歿、53才。

原久胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/28 14:31 UTC 版)

原 久胤(はら ひさたね、1792年寛政4年)[1] - 1844年10月30日天保15年9月19日))は、江戸時代後期の国学者歌人。号は契月(けいげつ)及び五十槻舎(いつきのや)。通称は新左衛門(しんざえもん)。別名に平 久胤(たいら ひさたね)。

1792年寛政4年)相模国大住郡下大槻村(現在の神奈川県秦野市下大槻)に生まれる[1]。後に江戸に上り、本居春庭と小川伴鹿に学ぶ[2]1844年(天保15年)9月19日 - 死去。享年53。著作に『音韻仮名』『五十槻掻葉集(いつきかきばしゅう)』がある。

1996年平成8年)、遺族の手によって、東京都品川区長応寺にあった歌碑が出身地である秦野市下大槻に近い弘法山へと移設された[2]

出典

  1. ^ a b 原久胤の墓”. 秦野ふるさとめぐり. 秦野市. 2025年2月28日閲覧。
  2. ^ a b 弘法山周辺”. 秦野ふるさとめぐり. 秦野市. 2025年2月28日閲覧。



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