清原雄風とは? わかりやすく解説

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清原雄風

読み方きよはら おかぜ

江戸後期歌人豊後国岡の人。通称忠次郎、名は、字は伯高、号は崑岡。小沢玄達と称して医を業とする。文化7年(1810)歿、64才。

清原雄風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 08:47 UTC 版)

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清原 雄風(きよはら おかぜ/たかかぜ、1747年[注 1]延享4年)- 1810年9月18日文化7年8月20日))は、江戸時代中期から後期の歌人医師である。本姓は森、通称は忠次郎。字は伯高。号に崑岡、楊柏等がある。

経歴・人物

豊後の岡(現在の大分県竹田市)生まれ。初めは亀井南冥から医学を学び、「小沢玄達」の名で父の後を継いで岡藩付の医師を務めた。のち脱藩して、下総香取東日本を中心に全国を行脚する。

江戸に入り、加藤千蔭村田春海らと親交を持ち、歌学を学んだ。その後は多くの著書や歌集を出版し、歌人として名を馳せた。晩年には角田九華が著した『続近世叢語』によって伝えられた、洗顔や整髪を行わず書斎に居住するといった、雄風の奇行が今日も受け継がれている。

主な著作物

  • 『怜野集』- 雄風の代表的著書。全12巻からなり、『万葉集』や『古今和歌集』等を勅撰した和歌集。春夏秋冬、恋歌、雑歌に分類され、その歌数は約15000首に及ぶ。1806年(文化3年)に刊行。

脚注

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注釈

  1. ^ 1743年寛保3年)とする説もある。

出典



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