さんとう‐きょうでん〔‐キヤウデン〕【山東京伝】
山東京伝
山東京伝
作者内田百閒
収載図書冥途・旅順入城式
出版社岩波書店
刊行年月1990.11
シリーズ名岩波文庫
収載図書ちくま日本文学全集 005 内田百閒
出版社筑摩書房
刊行年月1991.4
収載図書冥途
出版社福武書店
刊行年月1994.1
シリーズ名福武文庫
山東京伝
山東京伝
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山東 京伝(さんとう きょうでん、旧字体:山東 京傳、宝暦11年8月15日(1761年9月13日) - 文化13年9月7日(1816年10月27日))は、江戸時代後期の浮世絵師、戯作者。浮世絵師としては北尾政演(きたおまさのぶ)と号し、葎斎(せいさい)、北尾葎斎政演、北尾京伝、山東政演とも号して寛政元年(1789年)まで活動した。作画期は安永7年ころから文化12年前後(1778年-1815年)であった。寛政の改革における出版統制により手鎖の処罰を受けた。現在の銀座1丁目に喫煙用の小物販売店「京屋」を開き、自分がデザインした紙製煙草入れが大流行した。
注
- ^ あるいは弟の京山が後にことさら作ったものらしく疑問。
- ^ 弟の相四郎は明和6年(1769年)生まれ。
- ^ 弟の京山は明和6年6月15日(1769年)生まれ。
- ^ 明和8年(1771年)生まれ、天明末か寛政初めに早世。京伝は妹弟と父違い・母違いなどの説がある[2]。
- ^ 父は伊勢の出身で9歳の時江戸に来て質屋に奉公し、後に養子になり妻をもらい2男2女をなした。
- ^ のちに「古机の記」を書き、そのときの心情を「耳もおち足もくじけてもろともに世にふる机なれも老いたり」の句を残している[13]。
- ^ 書名は『〔新〕美人合自筆鏡』か[24]
- ^ 並列の題名は『京伝工夫小紋形』[25]、また上条耿之介の考察あり[26]。
- ^ 別題に『風流手拭合 (ふうりゅう たなぐいあわせ)』、また『志やれ染手拭合 (しゃれぞめ たなぐいあわせ)』とも。いわば仲間同士のデザインコンテストの図録という設定で、応募作品79作をカラー(彩色刷り)で載せたと序文は説明する[28]。応募者に鴨鞭蔭〈かものむちかげ〉こと加藤千蔭という京伝が国学を教わった師匠の名が見え、当時の京伝の交友範囲を見ることができ、妹で当時14歳の黒鳶式部を主催者名にあげてある。実際には、風流とされていた行事のパロディー企画を10歳年長の京伝本人が構成したとして、この出版物と別に現実に催したかどうかは不明[28]。
- ^ 石部琴好作の『黒白水鏡』。田沼意次の子意知が江戸城中で佐野政言に斬りつけられた事件を扱った[5]。
- ^ 煙草入れなどの袋物や煙管・丸薬類(読書丸など)を販売。京伝は商品のデザインを考案し引札(広告ビラ)を制作し、自身の作品のなかでも店の宣伝をした。店の経営には父・伝左衛門があたり京都・大坂に取次所もできた。父の死後は京伝の後妻・玉の井(百合)が経営を受け継ぐ。
- ^ 従来は書肆が作者に潤筆料を払う習慣はなく、当たり作があれば作者を遊里で接待するなどしたようである。
- ^ この随筆が、天保8年(1837年)に出版される『北越雪譜』となる。
- ^ 京伝は新作の構想ができるとまず百合に聞かせ、その意見を参考にしたという。
- ^ 市販書などではこの時の京伝の旅行を寛政6年と説明するものもあるが、謬説である。『伊波伝毛乃記』にある寛政年中の京伝の旅行を小池藤五郎が寛政6年だと推測して著書に書いたことから広まったとされる。『安積沼』の序文に京伝自身が「寛政庚申年蒲月」(寛政12年5月)に熱海を旅行したと明言していることから寛政6年旅行説は否定される。
- ^ 京伝は近世初期の風俗考証に努めた。
- ^ 勧善懲悪など道徳的な内容を心がけること、剛悪・不祥・殺伐な内容はできるだけ避けるようにすること、など迎合的な内容になっている。
- ^ 髪結いの営業権でかなり高価なもの。この営業権を一般の髪結い職人に貸し付けて揚銭(礼金)を納めさせたのである。
- ^ 幕府による検閲の厳しさをあげ、また戯作などの虚業ではなく実学・和学に精励することを勧めている。黒沢翁満はこの書簡が契機となって国学者への道を歩むこととなる。
出典
- ^ a b すみだゆかりの人々 1985, p. 6.
- ^ 佐藤至子 2009, p. 1-2.
- ^ 家族については佐藤至子 2009,pp. 1-2を参照
- ^ すみだゆかりの人々 1985, p. 7.
- ^ a b 宮武外骨「黒白水鏡」『筆禍史』(image/jp2)雅俗文庫、大阪、1911年(明治44年)、46頁。doi:10.11501/897233 。2020年12月21日閲覧。
- ^ a b 博学こだわり倶楽部『どんどん頭がよくなる 雑学王 話のネタ300連発』河出書房新社、1999年、29頁。ISBN 978-4309493077。
- ^ a b なるほど倶楽部「江戸時代に生れたワリカン」『つい他人(ひと)に自慢したくなる 花マル雑学塾』 1巻、KADOKAWA、2004年。ISBN 978-4043737024。
- ^ 森田誠吾『曲亭馬琴遺稿』新潮社、1981年、208頁。
- ^ 佐藤至子 2009, p. 2.
- ^ すみだゆかりの人々 1985, p. 8.
- ^ “山東京伝机塚の碑”. www.city.taito.lg.jp. 台東区. 2020年12月21日閲覧。
- ^ 佐藤至子 2009,p. 1
- ^ a b 佐藤至子 2009, p. 3.
- ^ 佐藤至子 2009, p. 5.
- ^ 者張堂 少通遍人『お花半七開帳利益札遊合 2巻』 (おはなはんしち かいちょう りやくの めくりあい)北尾 政演(画)、出版者不明、1778年、doi:10.20730/100291684NCID BB06386943。
- ^ a b 山東京傳、山東京傳全集編集委員会『黄表紙』第1巻、ぺりかん社〈山東京傳全集〉、1992年、NCID BN08213441。
- ^ 北尾政演『娘敵討古郷錦』鶴屋喜右衛門、江戸、n.d. 。2022年1月10日閲覧。、北尾政演(作・画)。
- ^ 細窪孝、山崎春奈「京伝と役者絵--黄表紙「娘敵討古郷錦」と初世中村仲蔵について」『東京家政学院大学紀要』第26号、東京家政学院大学、1996年7月、73-82頁、ISSN 0286-6277、NAID 110000196114。
- ^ 山東京傳、水野稔『米饅頭始 ; 仕懸文庫 ; 昔話稲妻表紙』岩波書店〈新日本古典文学大系〉第85巻、1990年、4002400859、ncid/BN04381149。
- ^ 『国立国会図書館所蔵黄表紙集』フジミ書房〈CD復刻シリーズ〉、2009年。 NCID BA89822772。
- ^ 在原艶美『家内手本町人蔵』上・中・下、北尾政演(画)、1781年(天明元年序、出版地・出版者不明。
- ^ 江戸狂歌本選集刊行会、人名索引刊行会『江戸狂歌本選集』第1巻、東京堂出版、1998年、NCID BA36239907、ISBN 4-490-30450-1、全国書誌番号:99062346。第14巻に『人名索引』あり、第15巻: 第15巻の巻末471-472頁に「総合目次 (第1巻-第14巻)」あり。(NCID BA36239907による)
- ^ 「第112 青樓名君自筆集(其一図) 北尾政演筆 一枚」『浮世絵派画集』第4冊、再版、審美書院(編)、1906年-1914年(明治39年-大正3年)、全国書誌番号:43033526。doi:10.11501/2591908、コマ番号0062.jp2、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
- ^ 北尾葎齋政演(画)『新 美人合自筆鏡』、耕書堂蔦屋重三郎、1784年(天明4年)。doi: 10.11501/1288343。インターネット公開。並列タイトル『吉原傾城新美人合自筆鏡』。
- ^ 山東京伝(作・画)『京伝工夫小紋形』、白鳳堂、1784年(天明4年)序、インターネット公開。並列タイトル『小紋裁』、doi:10.11501/8929469、(image/jp2)。
- ^ 上条耿之介「『小紋裁』を中心とした近世文様についての一考察」『かがみ』第6号、大東急記念文庫(編)、1961年8月、61-68頁(コマ番号0033.jp2-)
- ^ 山東京伝(編・画)『たなくひあわせ』、初版は東籬園路、1784年(天明4年)考跋。再販は米山堂版、1920年(大正9年)刊、doi:10.11501/932221、インターネット公開。
- ^ a b 新日本古典籍データベース (2006年11月1日). “所蔵資料紹介 > 名品ギャラリー 『手拭合 (たなぐいあわせ)』”. 国文学研究資料館. 2020年12月26日閲覧。
- ^ 延広真治「[連載] 『小紋裁後編 小紋新法』影印と註釈」は『江戸文学』(ぺりかん社、ISSN 0916-4103)に連載。第1回は同誌の第1巻第2号(1990年2月)、doi:10.11501/4426080、68-109頁(コマ番号0028.jp2-)。最終回は同誌(1994年7月)、doi:10.11501/4426090、34-101頁(コマ番号0019.jp2)に掲載。
- ^ a b 山東京傳、水野稔(編者代表)、山東京傳全集編集委員会(編)『読本1』、ぺりかん社〈山東京傳全集 第15-17巻〉、1994年。「画図通俗大聖伝」「忠臣水滸伝」「復讐奇談安積沼」「優曇華物語」収載。
- ^ 桜川杜芳戯(作)、まさのぶ(画)「豊年の貢」『絵本東土産(えほん あずまみやげ)』第4編、大阪 : 播磨屋五兵衞、1804年(享和4年)。
- ^ 佐藤至子] 2009, p. 319.
山東京伝(1761年 - 1816年)
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「曲亭馬琴」の記事における「山東京伝(1761年 - 1816年)」の解説
「生涯」節にも既述の通り、馬琴が著作家の道を歩むにあたって京伝は大きな影響を与えた人物であり、またのちに作家として大成した馬琴と作品を競う関係となった。
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