唐来参和とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 労働 > 職業 > 戯作者 > 唐来参和の意味・解説 

とうらい‐さんな〔タウライサンワ〕【唐来参和】


唐来参和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 06:55 UTC 版)

唐来 参和(とうらい さんな/さんわ、1744年延享元年)- 1810年2月28日文化7年1月25日))は、江戸時代中期から後期に活躍した戯作者狂歌師である。号は三和とも表記される。本姓は加藤。通称は和泉屋源蔵。別号(狂名)は質草少々、唐来山人等。

経歴・人物

曲亭馬琴『近世物之本江戸作者部類』によれば、もと高家何某の家臣であったが、天明年間にわけあって町人となり、江戸本所松井町の娼家和泉屋の婿養子になったという[1][2]浜田義一郎は、安永末期・天明初頭に志水燕十の代作者をしていたと推定している[3]。参和の名での初作は洒落本『三教色』、天明年間中に『大千世界牆の外』『和唐珍解』『莫切自根金生木』『頼光邪魔入』『通町御江戸鼻筋』を刊行している。1789年(寛政元年)『冠言葉七目〓(支+十二)記』『天下一面鏡海鉢』を刊行するが、後者が松平定信の改革を穿つものだったため、絶版処分に遭う。2年間絶筆した後、『善悪邪正大勘定』『再会親子銭独楽』などを刊行。以降、合巻2種を刊行したが、それ以降の出版活動はない。太田南畝の門人であり、狂歌も嗜んだ。

井上ひさしが『戯作者銘々伝』で小説の題材にしたほか、俳優小沢昭一が1983年~2000年までの18年間、一人芝居で唐来参和の生涯を演じた[4]

主な著作物

洒落本

  • 『三教色』- 1783年(天明3年)に刊行。
  • 『和唐珍解』- 1785年(天明5年)に刊行。

黄表紙

  • 『大千世界牆の外』- 1784年(天明4年)に刊行。
  • 『莫切自根金生木』- 1785年(天明5年)に刊行。読みはきるなのねからかねのなるき回文となっている。
  • 『頼光邪魔入』- 1785年(天明5年)に刊行。
  • 『通町御江戸鼻筋』- 1786年(天明6年)に刊行。
  • 『冠言葉七目〓(支+十二)記』- 1789年(寛政元年)に刊行。
  • 天下一面鏡梅鉢』- 1789年に刊行。
  • 『再会』子銭独楽』- 1793年(寛政5年)に刊行。
  • 『善悪邪正大勘定』- 1795年(寛政7年)に刊行。

狂歌集

  • 『狂文宝合記』- 1783年(天明3年)に刊行。
  • 『老莱子』- 1784年(天明4年)に刊行。
  • 『手拭合』- 1784年(天明4年)跋。
  • 『徳和歌後万載集』- 1785年(天明5年)に刊行。
  • 『十才子名月詩集』- 1785年(天明5年)に刊行。
  • 『吾妻曲狂歌文庫』- 1786年(天明6年)に刊行。

脚注

  1. ^ 曲亭馬琴著・徳田武校注『近世物之本江戸作者部類』岩波書店、2014年6月、37-38頁。 
  2. ^ 曲亭馬琴著・徳田武校注『近世物之本江戸作者部類』岩波書店、2014年6月、291頁。 
  3. ^ 日本古典文学大辞典編集員会『日本古典文学大辞典 第4巻』岩波書店、1984年7月、442頁。 
  4. ^ 名優・小沢昭一の代表作『唐来参和(とうらいさんな)』が、3月20日に初DVD化! - CDJournal ニュース”. www.cdjournal.com. 2020年4月12日閲覧。

参考文献

外部リンク




唐来参和と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「唐来参和」の関連用語

唐来参和のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



唐来参和のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの唐来参和 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS