巻之四
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/21 04:54 UTC 版)
槍には直槍、十文字槍、鉤槍、管槍など伝があるが、どれが有利かという問いに、槍は突くための道具であって、自在に操るのは我であり、武器ではないと答えた。しかし、鎌を付け、柄に鉤を仕込み、または管をかけて用いるのは、先人の得たものをさらに工夫し、武器の働きを極めて、これを用いて自在になせるようになったということ。使い慣れた武器が有利であり、それに達して至れば、棒でさえ槍となるといった。 また、気の整え方について語り、腹の上に手を置けば、気は腹に集中し、ゆえに気が満ちている所に手は置かず、気が虚空になっている所に置くのが習わしと説明する。神道の内清浄と外清浄も説明し、これも元々一体であると説く。 禅僧が子供にいった逸話を出し、腹を張れば、気が引き下がって集まり、しばらく気が体内に満ちて強くなる。驚いたり、怖れるのは、気が不足し、上の方にあるためと説明した。 多くは上半身を動かして動くため、頭も動き、人によっては全体をゆすって歩く。善い歩行者は腰より上は動かず、足だけで歩行するゆえ、体は静かで五臓六腑をゆすることなく、形でも疲れない。これは貴人の輿をかつぐ歩行者を見ればわかる。剣と戟を扱う者も気が濁って片寄る時、足だけ動かして歩くことができない。頭につられ、全身がゆすると形に欠陥があり、気が動じて心が静かにならない。刀は右足を、槍は左足を前にし、立つ時は進む前足を活かして立つものといった。常に修行であり、道を歩く時も、座る時も、寝ている時も、人と対面する時も工夫次第で修行となると説いた。また例え話として、猿楽の太夫や蹴鞠をする者を出し、語った。 軍学は謀計をもって欺く術だが、この道に熟せば、小ざかしい知恵を助長し、心術の害とならないかという問いに、君子が用いる時は国家治平の武器となり、小人が用いる時は己を害する人を傷つける武器となると述べ、道を志し、私心の混じらない時、例え盗賊の術を学ぶとしても盗賊を防ぐ術となり、志の害とはならないと語った。志がもっぱら情欲利害に基づき学べば、聖賢の書といえども小ざかしい知恵の助けとなってしまうゆえ、まず正道の志を立て、万事を学ぶべきと説き、我に正道なくて軍術を学べば、功利の言にいちいち喜び、心が動き、小ざかしい知恵の巧みさを求め、これこそ士道と誤ることになる。剣術者も芸に熟し、これを辻斬り強盗に用い、男道と思えば、芸術は返って身の害を招くといい、芸術の罪ではないとした上で、志の誤りを熊坂(盗賊)と弁慶で例え話をする。謀計は士道ではなく、これを用いて忠戦を成すことを士道とするのであるといった。また弁慶の逸話を引用し、弁慶が杖で義経を打ったのは忠ではなく、君難を救ったことが忠であると説いた。跡をもって論じ、事をもって論ずるのは知恵ではない。 将には人情が必要とその重要性と人情がないことの害を説く。 謀をすれば、相手も謀を用いて自分を欺こうとするというと、版画の原版に例え、手本を学んでこそ、新しい手も生じると答えた。これは学術も同じで、先人の例があってこそと述べた。 軍中では敵味方大勢で独り働きの如く自由に成り難い。常に古人の跡を参考にし、法を出し、士卒を練り、駆け引きが自在になるよう、備えを立てることを要とすると語る。 今自分が父祖の陰徳により幸福とはいえ、わずかに思い違いをすれば、種々の妄心が生じ、終に天狗界に入り、父祖の陰徳を削り、身に災いがふりかかること、矢より早いと述べ、汝らも怖れ慎むようといった。天狗界とは何かを語り、心の状態を説明した上で、汝らはよく心を修し、気を収め、魔界を去り、人間(じんかん)に出て、道を求めるべきといった。また、鼻長く、嘴あり、翼あるのを、人に勝っていると思って、愚人を騙すが、これら身の一部は返って心を苦しめ、人に害を与える器官でしかないといった。学術、剣術、己を知ることを専務とする。心が明らかになれば、身をわきまえ、敵もなくなる。無欲なら討たれるような虚がなく、勢いで挫けず、欲を利用して動かすことも、巧み技によって欺くこともできない。我もこのことを思って慎んでいるが、凡情、未だ断ち切れず、熱湯を飲む(仏教で心が静まらないの意)ことを多少免れているだけで、今なお天狗の輩で、いつか人の世に出、道を悟ろうと思っていると述べると、谷がこだまし、風が当たり、夢がさめる。山と見えていたのは屏風であり、剣術家は怖れおののき、横たわっていた。
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巻之四
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 03:15 UTC 版)
帰朝と形勢の一変 静岡藩出仕と常平倉 1868年 幕府が瓦解。朝廷の命令で日本に帰る。静岡藩の勘定組頭になる。商法会所を設立。 明治政府出仕 1869年 大隈重信の説得で民部省の租税正(現在の主税局長相当)になる。改正局を設置、その掛長を兼任。
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