当麻蹴速とは?

たいまの けはや 【当麻蹴速】 ○

垂仁天皇の頃の人。相撲の祖とされる大和国当麻に住む強力自慢であったが、勅命出雲国野見宿禰のみのすくね)と対戦し、肋骨腰骨を折られて死んだという。

当麻蹴速

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/01 16:36 UTC 版)

当麻蹴速(たいまのけはや、たぎまのけはや、タエマクエハヤ、當麻蹶速、生年不明 - 垂仁天皇7年7月7日)は、垂仁天皇の時代に勇名をはせたと伝わる人物である。




  1. ^ 『日本紀』垂仁天皇7年7月乙亥(7日)条。ちなみに後世の7月7日の相撲節会はこの日に因むという(『類聚国史』歳時部相撲条)。
  2. ^ なお、『古事記開化天皇の段に、皇孫である小俣王(こまたのみこ)の後裔として「当麻勾君(たいまのまがりのきみ)」という氏族が見えるが、蹴速との関係は不明である。


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