両方の型を経験した横綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 09:44 UTC 版)
「横綱土俵入り」の記事における「両方の型を経験した横綱」の解説
1人の横綱が雲龍型・不知火型両方を使い分けた例はないが、例外措置としてもう一方の型を選択した例が2例ある。 雲龍型の土俵入りをしていた北の富士勝昭は1971年8月、A班・B班の2班体制で行われていた巡業においてA班の班長として参加していたが、B班班長として巡業を回っていた玉の海正洋が虫垂炎による急病との報を受けて急遽B班の巡業先であった秋田県に合流し、土俵入りをすることになった。しかし、急な話だったために自らの雲龍型の綱が入った明荷が間に合わず、巡業先に置かれたままであった玉の海の不知火型の綱を締めて異例の形で不知火型の土俵入りを行った。北の富士は高砂一門の横綱であり、一門としても唯一の不知火型経験者である。 不知火型の土俵入りをしていた白鵬は、2011年12月に双葉山生誕100周年を記念して双葉山の出身地である大分県宇佐市の宇佐神宮で行われた奉納土俵入りで、双葉山に敬意を表するために、自分の不知火型用の綱を切り、雲龍型用の長さに調節した横綱を締めて双葉山と同じ雲龍型で横綱土俵入りを行った。
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