横綱免許をめぐるトラブルとは? わかりやすく解説

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横綱免許をめぐるトラブル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 09:15 UTC 版)

大木戸森右エ門」の記事における「横綱免許をめぐるトラブル」の解説

この成績見た大坂相撲は、1909年吉田司家横綱免許授与申請したが、吉田司家横綱免許をすぐに授与せず、「同年11月開催する博多での合併興行結果判断したい」と回答してきた。大木戸はこの合併興行で3勝1敗3引分3休という不本意な成績残したことで横綱昇進が遠退いた思われ矢先仲介者後押し大坂相撲吉田司家横綱免許授与を再申請するが、今度吉田司家から申請書に「東京相撲横綱による加判」を求めた当時常陸山によって大坂相撲の有力力士次々と東京相撲引き抜かれていた背景があり、大坂相撲東京相撲毛嫌いしていたために加判難色示し引退したばかりの若島の加判だけで申請行おうとしたことで、大坂相撲吉田司家交渉決裂したその後大坂相撲吉田司家無視して住吉神社共謀し1910年1月6日大木戸対す横綱免許授与大木戸奉納横綱土俵入り行った。これを知った吉田司家無断授与した大坂相撲激怒して破門宣告したほか、東京相撲大坂相撲に対して絶縁宣言叩きつける大事件発展したこのままでは大木戸非公認横綱とされるままだったが、1912年12月大坂相撲東京相撲吉田司家両者正式に謝罪し大木戸への横綱免許授与改め申請した吉田司家は「大木戸横綱撤回(ただし、大阪熊本以外での地方巡業では横綱黙認)」「今後大坂相撲横綱免許申請する際は、東京相撲横綱加判止めて口添えを行うこと」を条件とした。大坂相撲はこれを承認したことで東京相撲絶縁宣言撤回大木戸横綱免許改め申請され、既に36歳全盛期過ぎたとはいえ、これでようやく公認横綱となった

※この「横綱免許をめぐるトラブル」の解説は、「大木戸森右エ門」の解説の一部です。
「横綱免許をめぐるトラブル」を含む「大木戸森右エ門」の記事については、「大木戸森右エ門」の概要を参照ください。

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