短命の共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 03:20 UTC 版)
アメリカとスペインは、西フロリダの問題について、長い間決着の着かない交渉を続けた。そうしているうちに、アメリカの開拓者達が問題の地域に足掛かりを作り上げ、スペインの支配に抵抗した。残っていたイギリス人開拓者もスペインの支配を嫌がり、1810年には反乱を起こし、ぴったり90日間の西フロリダ共和国を創り上げた。9月23日、6月に始まった会合の後で、反乱軍はバトンルージュでスペイン守備兵を打ち負かし、新しい共和国の旗を翻した。青地に白の星一つのその旗は後にボニー・ブルー・フラッグと呼ばれた。 西フロリダ共和国の境界は、31度線より南、ペルディド川より西、ミシシッピ川より東、ポンチャートレイン湖の北であった。南はメキシコ湾を境界とした。領域は現在のアラバマ州の南部、ミシシッピ州ではハンコック、パール・リバー、ハリソン、ストーン、ジャクソンおよびジョージの各郡と、ラマー、フォレスト、ペリーおよびウェイン各郡の南部、ルイジアナ州ではイースト・バトン・ルージュ、イースト・フェリシアナ、ウエスト・フェリシアナ、リビングストン、セントヘレナ、タンジパホア、セントタマニー及びワシントンの各郡であった。西フロリダという名前ではあるが、現在のフロリダ州の領域は入っていなかった。西フロリダ共和国の首都はセント・フランシスビルに置かれた。 西フロリダ共和国の憲法は、多くをアメリカ合衆国憲法によっており、政府を3つの部門に分けた。行政、司法および立法である。立法府は上院と下院があった。知事は立法府により選ばれた。憲法によれば、国の正式名称は「フロリダ国」(State of Florida)であった。 最初で唯一の知事はフルワー・スキップウィズであり、ルイジアナ買収の交渉を支援した元アメリカ外交官であった。スキップウィズの就任演説では、アメリカ合衆国との合併の可能性についても言及された。 「 …正義と博愛の声が聞こえるところならどこでも、我々の宣言と我々の権利が尊重されるだろう。しかし、我々の血管を流れる血液は、我々の喜ばしい国を流れる川の本流を形作り支える支流のように、邪魔されることが無ければ、我々の母国の心臓に戻ってくるだろう。アメリカの自由の不滅の創設者、ワシントンの天才は、その血流を促進し、我々がその流れを変えようとすれば、我々のことを冷ややかな目でみることであろう。 」 ルーベン・ケンパーがスペインからモービルを奪おうとして小さな軍を起こしたが、これは失敗に終わった。西フロリダ軍の行進曲にはつぎのような詩がある。 西フロリダ、この愛すべき国 West Floriday, that lovely nation, 王もいなければ、専制者もいない Free from king and tyranny, 世界中に尊重され Thru’ the world shall be respected, 真に自由を愛する心に For her true love of Liberty.
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