短命に終わった初期の文学部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:14 UTC 版)
「明治大学大学院文学研究科・文学部」の記事における「短命に終わった初期の文学部」の解説
専門学校令による明治大学の文学部は1906年(明治39年)、国語漢文・英文・仏文・独文の4学科をもって新設されたが、1908年(明治41年)に修業年限を切りあげ第1回の卒業生を出しただけで学生募集を停止してしまった。教員の数よりも学生の数が少ないのでは経営が成り立たないというのがその理由であった。当時の講師には夏目漱石、上田敏、内海弘蔵、登張竹風、服部躬冶、桑原隲蔵などがいた。 学生募集を停止した後も文部省への廃止届は出されず、学則上文科は存続していた。そのため文科再興を求める声はたびたび上がったが、主に財政上の理由で実現しなかった。
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