大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰
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「栃東大裕」の記事における「大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰」の解説
新大関の2002年(平成14年)1月場所では初日から11連勝。同場所の千秋楽結びの一番前の本割りでは、大関・千代大海に勝利して、13勝2敗同士の優勝決定戦に突入。そして決定戦でも千代大海を立ち合いの変化で下して、自身初となる悲願の幕内最高優勝を達成し、一躍「横綱候補」へと躍り出た。しかし、2002年5月場所13日目、魁皇との取組中に肩を負傷すると休場が続き、2003年7月場所では7勝8敗と皆勤負け越しを喫するなど1年以上に渡る不振に陥るが、2003年11月場所では13勝2敗の好成績で復活優勝(2回目)。しかし綱取りのチャンスを生かせず(2002年3月場所と2004年1月場所で綱取りに挑むも失敗)、その後は元々体が硬いためもあってか再び怪我が多発し、それにより2004年(平成16年)7月場所と2005年(平成17年)1月場所に、大関から2回も関脇へ陥落する屈辱を味わう。しかし、2回共に関脇の地位で10勝以上の好成績をあげて、各1場所で大関特例復帰を果たした。なお大関陥落の後、大関に2度も返り咲いた力士は栃東が大相撲史上初めてで、2020年(令和2年)現在も栃東ただ一人のみである。なお、大関昇進の頃から既に脳梗塞の予兆である頭痛が時々発生していたが、この時期の健康診断では異常が指摘されず、本人も「一時的なもの」と我慢していた。 若い頃から稽古の鬼であったが、硬い筋肉をつける稽古のしすぎで故障を招いているため、稽古量を抑えたらどうかと指摘を受けた。そのため体を休ませながら稽古をするとともに大相撲に適した柔らかい筋肉に肉体改造をしたことが功を奏し、2006年(平成18年)1月場所では14勝1敗の好成績で13場所ぶり3度目の幕内最高優勝を果たした。なお、この栃東の優勝を最後に同年3月場所以降、2016年(平成28年)の初場所において琴奨菊が優勝するまで日本出身力士の幕内最高優勝は10年間出なかった(いわゆる「ウィンブルドン現象」と言われる)。 横綱昇進を期待された同年3月場所では、序盤における下位力士への取りこぼしがたたり優勝を逃し横綱昇進が見送られた。ただし、終盤に大関昇進が確実な関脇・白鵬や優勝した横綱・朝青龍を本割の土俵で破っての12勝3敗という内容が評価されて、翌5月場所に横綱昇進の可能性を残した。3月場所中に足を痛めてしまい、5月場所では更に怪我が悪化して左膝半月板損傷により7日目から途中休場に追い込まれた。朝青龍が一人横綱になって久しいこともあり、3代若乃花以来8年ぶりの日本人横綱の誕生を多くの相撲ファンに期待され、また当時全盛を誇っていた朝青龍に唯一まともに渡り合える日本人力士だったため、横綱審議委員会も「13勝なら昇進させても良いし、12勝でも優勝なら検討する価値はある」とかなり甘めの昇進基準を提示していたが、それに応えることはできなかった。
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