大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰の意味・解説 

大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 06:53 UTC 版)

栃東大裕」の記事における「大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰」の解説

新大関2002年平成14年1月場所では初日から11連勝。同場所の千秋楽結びの一番前の本割りでは、大関千代大海勝利して13勝2敗同士優勝決定戦突入。そして決定戦でも千代大海立ち合い変化下して自身初となる悲願幕内最高優勝達成し一躍横綱候補」へと躍り出た。しかし、2002年5月場所13日目、魁皇との取組中に肩を負傷する休場続き2003年7月場所では7勝8敗と皆勤負け越し喫するなど1年以上に渡る不振陥るが、2003年11月場所では13勝2敗の好成績復活優勝(2回目)。しかし綱取りチャンス生かせず(2002年3月場所と2004年1月場所で綱取り挑む失敗)、その後は元々体が硬いためもあってか再び怪我多発し、それにより2004年平成16年7月場所2005年平成17年1月場所に、大関から2回も関脇陥落する屈辱を味わう。しかし、2回共に関脇地位10勝以上の好成績をあげて、各1場所で大関特例復帰果たした。なお大関陥落の後、大関2度返り咲いた力士栃東大相撲史上初めてで、2020年令和2年)現在も栃東ただ一人のみである。なお、大関昇進の頃から既に脳梗塞予兆である頭痛が時々発生していたが、この時期健康診断では異常が指摘されず、本人も「一時的なもの」と我慢していた。 若い頃から稽古の鬼であったが、硬い筋肉をつける稽古のしすぎで故障招いているため、稽古量を抑えたらどうかと指摘受けた。そのため体を休ませながら稽古をするとともに大相撲適した柔らかい筋肉肉体改造したことが功を奏し2006年平成18年1月場所では14勝1敗の好成績13場所ぶり3度目幕内最高優勝果たした。なお、この栃東優勝最後に同年3月場所以降2016年平成28年)の初場所において琴奨菊優勝するまで日本出身力士幕内最高優勝10年間出なかった(いわゆるウィンブルドン現象と言われる)。 横綱昇進期待され同年3月場所では、序盤における下位力士への取りこぼしがたたり優勝逃し横綱昇進見送られた。ただし、終盤大関昇進確実な関脇白鵬優勝した横綱朝青龍本割土俵破って12勝3敗という内容評価されて、翌5月場所横綱昇進可能性残した3月場所中に足を痛めてしまい、5月場所では更に怪我悪化して左膝半月板損傷により7日目から途中休場追い込まれた。朝青龍一人横綱になって久しいこともあり、3代若乃花以来8年ぶりの日本人横綱の誕生多く相撲ファン期待され、また当時全盛誇っていた朝青龍唯一まともに渡り合え日本人力士だったため、横綱審議委員会も「13勝なら昇進させても良いし、12勝でも優勝なら検討する価値はある」とかなり甘め昇進基準提示していたが、それに応えることはできなかった。

※この「大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰」の解説は、「栃東大裕」の解説の一部です。
「大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰」を含む「栃東大裕」の記事については、「栃東大裕」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰」の関連用語

1
12% |||||

大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大関昇進後関脇再陥落、史上初の大関特例再復帰のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの栃東大裕 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS