大関昇進〜幕内初優勝とは? わかりやすく解説

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大関昇進〜幕内初優勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 15:29 UTC 版)

琴欧洲勝紀」の記事における「大関昇進〜幕内初優勝」の解説

大関昇進伝達式においては、前師匠の元横綱琴櫻と現師匠琴ノ若夫妻同席する異例事態となった。これは、同場所中に琴櫻65歳停年迎え規定により佐渡ヶ嶽部屋力士千秋楽まで土俵上がれるようにするために琴ノ若引退して部屋継承したことに対して協会側が配慮したのであるちなみに琴ノ若いわゆる婿入り婚」のため、琴櫻退職後も亡くなる直前まで部屋での稽古顔を出していた。伝達式での口上は「大関名に恥じぬように稽古精進します」と述べた当時はまだ日本語自信がなかったため、琴ノ若ローマ字書いてくれたものを覚えたという。 新大関2006年1月場所は、初日露鵬敗れたが、順調に白星積み上げて行き一時優勝争いにも加わった終盤負け込み10勝5敗とまずまずの成績だった。 幕内10場所目で大関2場所目だった翌3月場所直前稽古で右膝を傷め一時出場すら危ぶまれたが、本人意思で何とか出場こぎつけ、9勝6敗と勝ち越した。 翌5月場所も右膝と右足首が完治せず負け越し危ぶまれたが、先代師匠激励受けて千秋楽かろうじて勝ち越し、8勝7敗で取り終えた次の7月場所も1勝2敗から5連勝し6勝2敗としたものの、そこから崩れて再び負け越し危機直面したが、またしても千秋楽勝ち越して8勝7敗。 その次の9月場所序盤3連勝の好スタート切ったが、中盤の3連敗響いて10勝5敗に終わっている。場所後の2006年9月27日成績伸び悩んでいたため、より良い画数考え琴欧州から琴欧洲読みは同じ)に四股名改名した。 その改名後の翌11月場所序盤3連勝したものの、中盤での取りこぼし響いて結局10勝5敗だった。 2007年1月場所は、稀勢の里に於いて大関であるにもかかわらず立合い変化勝利を収めたため、国技館内からブーイング起こった2007年5月場所は、中日に7勝1敗だったが、終盤崩れて9勝6敗であった2007年9月場所では新入幕豪栄道活躍で、大関という立場では対戦があるはずの大関千代大海横綱白鵬との取組外されてしまった。さらに、横綱朝青龍大関魁皇休場大関琴光喜が同部屋所属のため、大関なのに大関以上との対戦がないという事態となった。加えてそのような事態にもかかわらず下位力士大きく取りこぼし、8勝7敗に終わった。 翌11月場所には膝の古傷傷めて7日目力士人生初めての不戦敗途中休場となる。そのため、2007年一度二桁勝利を挙げることが出来なかった。改名効果が全く出ていない状態が続き、「大関挙げない方が良かったのでは?」という声も囁かれていた。 翌2008年1月場所は初の大関角番となったが、9勝6敗と勝ち越し角番脱出した3月場所では4日目取組の際、左上腕部負傷したため、9日目から通算2度目休場追い込まれ悔しさのあまり思わず涙した大関上がるまでは、強烈な引き付け投げ武器優勝争いに加わる等の活躍見せていたが、大関昇進後怪我とそれに伴う大関陥落対す精神的な重圧から、一転して長身持て余すようなスケール小さ取り口となった琴櫻生前この不振を「技術的なことよりも、精神的なことだよね」と語っていた。また、琴欧洲自身大関時代プレッシャー押しつぶされそうになり、神経質になりすぎていたこともあったと引退後述懐している。 ところが、体重を5キロ増やして臨んだ2008年5月場所では初日から絶好調キープし、8連勝角番脱出。さらに11日目12日目と朝青龍白鵬の両横綱寄り切り勝利し優勝目前となる。翌13日目は苦手の安美錦対し一方的に押し出し敗れてしまったものの、援護射撃で同部屋先輩大関琴光喜白鵬寄り倒し破り2差とし、更にその直後には朝青龍魁皇上手出し投げ敗れて4敗目を喫したため優勝圏外去った。そして翌14日目は平静さ取り戻し安馬(後の横綱日馬富士)を送り倒し破り初優勝決めた千秋楽千代大海戦にも寄り切り勝利し最終的に14勝1敗の好成績で、ヨーロッパ出身力士として史上初となる自身念願幕内最高優勝果たした来日していた父とは花道大泣きして抱き合い、場所後は温泉宿などで久しぶり一緒時間過ごしたという。 次の2008年7月場所は本来綱取り場所となるところであったが、3月場所までは勝ち越しがやっとだったこともあり、綱と言うより大関として真価問われる場所となった。しかし初日に苦手の安美錦敗れると、7日目までに3敗を喫し結局9勝6敗に終わり綱取り白紙戻ったその後9月場所11月場所は2場所ともに8勝7敗で千秋楽勝ち越してはいるが、優勝した時の強さが全く見られない取り口となった2009年1月場所は中日までを7勝1敗とし、一時優勝争いにも加わった後半失速し結局10勝5敗に終わった第33回日本大相撲トーナメントでは決勝戦まで勝ち進んだものの、決勝では白鵬敗れ優勝同点だった。翌3月場所10勝5敗、大関昇進後では14場所ぶりの連続二桁勝利となった5月場所は9勝6敗で大関初の3場所連続二桁勝利はならなかったが、14日目に33連勝中の白鵬連勝記録止めて存在感示した。場所後の6月には佐渡ケ嶽部屋オランダ公演が行われ、ブルガリアから駆けつけ両親の前で相撲披露した次の7月場所前に1日50番近い稽古こなしたことが実り7月場所では10連勝とし11日目千代大海敗れたものの、当時1敗だった琴光喜全勝白鵬破り再び優勝争いトップ守った注目され13日目の白鵬との一敗同士直接対決では完敗優勝争いから一歩後退する翌日14日目には朝青龍千秋楽には日馬富士破り逆転優勝への望み繋いだが、千秋楽白鵬朝青龍勝利したため優勝決定戦持ち込むことはできなかった。それでも最終的に13勝2敗の好成績挙げ久々に優勝争い大きく盛り上げた。 翌9月場所初日から6連勝したものの、7日目鶴竜敗れると、10日目から5連敗喫して9勝6敗に終わった11月場所9日目まで1敗を保持し優勝争い加わっていたが、9月場所同様、10日目魁皇敗れてからは失速して10勝5敗に留まった。 2010年1月場所は9勝6敗、3月場所躍進する把瑠都万全相撲で敗れるなどして、10勝5敗に終わる。5月場所千秋楽の結び前の一番、大関魁皇右上手を許し寄り切り敗れ魁皇大相撲史上二人目の「通算1000勝」の大記録達成させる黒星喫し、9勝6敗に終わる。 翌7月場所初日から7連勝と好スタート切ったが、中日好調鶴竜敗れると後半またも失速し10勝5敗に留まった。9月場所2009年7月所以来となる中日での勝ち越し決め横綱白鵬を追う一番手として期待されたが、9日目に苦手の安美錦敗れると、11日目から4連敗喫して失速結局7月場所同様、10勝5敗に留まった。11月場所5日目までに3敗を喫しその後6連勝して11日目勝ち越し決めた終盤4連敗喫し8勝7敗に終わった2011年1月場所は9日目まで8勝1敗とし、一時白鵬星一つ差であったが、終盤失速して10勝5敗に留まった。しかし大関陣の中では唯一の二桁勝利であった5月技量審査場所序盤から不調で、9日目に古傷悪化させたこともあって11日目から休場した。これで幕内初優勝2008年5月場所から続いた連続勝ち越し記録17場所でストップ。翌7月場所3度目大関角番だったが、10日目魁皇下し8勝2敗と勝ち越して角番脱出した(なお魁皇はこの琴欧洲戦を最後に現役引退表明)。しかし11日目以降は1勝のみで、結局9勝6敗に終わった9月場所5月技量審査場所同様に序盤から1勝5敗と不調で、右膝と右肘を負傷したこともあり7日目から途中休場。しかし場所後の明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権大会には出場し決勝把瑠都破って2005年以来6年ぶり2回目優勝果たした11月場所4度目大関角番だったが、11日目角番脱出し9勝6敗。 2012年1月場所では2010年9月所以来の初日からの6連勝と好スタートを切り、13日目に横綱白鵬13場所ぶりに寄り切り破った。(この一番で把瑠都初優勝決定。)最終的に10勝5敗と2011年1月所以来の二桁勝利を挙げた5月場所14日目、同場所平幕優勝果たした旭天鵬戦で右足根骨靱帯損傷したため、千秋楽栃煌山戦を休場し3月場所続き8勝7敗(千秋楽不戦敗)に終わった。この不戦敗で4敗力士優勝消滅し館内からはブーイング起こり理事長協会挨拶では琴欧洲対す異例名指し非難謝罪があった。怪我完治しない中で強行出場した7月場所12日目に勝ち越し決め千秋楽稀勢の里破り9勝6敗で終えた2012年9月場所5日目、苦手の豊ノ島戦で掬い投げ敗れた右肩痛め、翌6日目より途中休場(他大関陣は把瑠都琴奨菊4日目から途中休場、6大関の内3人が不在に)。11月場所自身5度目角番となったが、11日目横綱白鵬下して角番脱し、9勝6敗で終えた2013年1月場所は序盤に3連敗した12日目に横綱白鵬連勝するなど存在感見せ千秋楽稀勢の里上手投げ下し最終的に10勝5敗と一年ぶりの二桁勝利取り終えた。しかし、3月場所は場所前から痛めていた左肘の負傷悪化し5日目で1勝4敗と絶不調。左肘関節外側側副靱帯損傷により翌6日目から途中休場した。翌5月場所6回目角番武双山並び歴代5位タイ)を迎えることになった。同場所は初日から4連勝したが肘や膝の傷み苦しみ千秋楽鶴竜送り出して8勝7敗と辛うじて角番脱した2013年7月場所は14場所ぶりに9日目で早々勝ち越し10日目まで9勝1敗と優勝争い加わったが、その後横綱・大関戦は全敗14日目は小結松鳳山にも敗戦)を喫し終盤5連敗の9勝6敗に終わった。翌9月場所は、初日から4連勝したが、5日目豪栄道上手投げ敗れた際に左太股裏を負傷し7日目から途中休場一時再出場する意向だったが、怪我回復しないため断念した)。 翌11月場所2013年5月所以7度目の角番迎えた小錦並び歴代4位タイ)。しかし1勝1敗で迎えた同場所の3日目松鳳山戦で左肩を負傷し、「左肩鎖関節脱臼全治4週間」の診断により4日目から途中休場その後同場所9日目の時点大関で2場所連続負け越しとなり、大関陥落決定した靖国神社奉納大相撲2009年4月10日撮影明治神宮例祭奉祝 奉納70全日本力士選士大会2011年10月3日撮影

※この「大関昇進〜幕内初優勝」の解説は、「琴欧洲勝紀」の解説の一部です。
「大関昇進〜幕内初優勝」を含む「琴欧洲勝紀」の記事については、「琴欧洲勝紀」の概要を参照ください。

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