大関昇進~同部屋同士の優勝決定戦
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「貴ノ浪貞博」の記事における「大関昇進~同部屋同士の優勝決定戦」の解説
1994年(平成6年)1月場所は、前年まで3場所連続で勝ち越して、前場所は12勝を挙げる活躍を見せたことから自身初の大関取りの場所となった。しかし二子山部屋には貴乃花光司・若乃花勝の2大関がいたため、貴ノ浪には同じく大関取りの場所としていた武蔵丸光洋よりも好成績を残すことが求められた。7日目に横綱・曙太郎との対戦を迎えると、これまで対横綱戦未勝利だった貴ノ浪は、本人曰く「強烈な突っ張りの威力を逸らすため」にあえて斜めに仕切る奇策に出る。これが効いたのか河津掛けでようやく対横綱戦初勝利を挙げ、勢いそのままにこの場所を13勝2敗で終えると二度目の敢闘賞を受賞すると共に、武蔵丸と同時に大関昇進を果たした。大関の同時昇進は1977年(昭和52年)1月場所後の若三杉壽人(新大関)・魁傑將晃(再昇進)以来17年ぶり、新大関2名の同時昇進は1972年(昭和47年)9月場所後の貴ノ花利彰・輪島大士以来22年ぶりだった。昇進伝達式での口上は若貴兄弟と同様に四字熟語の「勇往邁進」を用いていた。新大関として迎えた3月場所は12勝3敗で、曙と貴闘力忠茂が並んだことで優勝決定戦に進出した。貴闘力とは同部屋のために本割での対戦が無かったが、優勝決定巴戦では貴闘力に勝利したものの曙には敗れ、続けて貴闘力も曙に敗れたことで、幕内最高優勝は曙にさらわれてしまった。 大関・貴ノ浪はそれ以降も安定した成績を残す。特に1996年(平成8年)1月場所では14勝1敗の好成績を残し、横綱・貴乃花光司との同部屋同士による優勝決定戦では曙戦で繰り出した河津掛けで制して、悲願の幕内最高優勝を果たした。1997年(平成9年)11月場所でも14勝1敗でまたも貴乃花と同部屋同士による優勝決定戦を上手投げで下し、11場所ぶり二度目の幕内最高優勝を果たした。続く場所が綱取りとなったが11勝、10勝に留まり、大関での2場所連続優勝を達成することが出来ず、惜しくも綱には届かなかった。綱取りが叶わなかった大関・貴ノ浪だったが、その一方で1995年(平成7年)5月場所と1997年(平成9年)1月場所、1999年(平成11年)1月場所を全て6勝9敗と皆勤負け越しを記録したり、勝ち越しても8~9勝止まりと大関らしからぬ成績を残し、低迷した時期もあった。特に剣晃敏志を苦手(通算9勝9敗)としており、剣晃に敗れたことで優勝を逃す場面も見られた。それでも角番を脱出した場所では大半が終盤戦まで優勝争いに加わる活躍を見せており、1999年(平成11年)3月場所は角番で迎えたが12勝3敗の好成績を残して角番を脱出しただけでなく、11日目には通算5場所目というスピード出世で新入幕を果たした雅山哲士に勝利して雅山の二桁勝利を阻む(本人曰く「丁髷の結えないヤツには負けられない(当時、雅山はスピード出世で髷が追い付かず、髷の無い姿で入幕していた)」など、大関としての貫禄を示す場面も見られた。
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