大関時代・大関在位44場所
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「北天佑勝彦」の記事における「大関時代・大関在位44場所」の解説
22歳9カ月での大関昇進は当時では大鵬・北の湖・玉乃島(後の横綱玉の海)・貴ノ花に次ぐ5番目の年少記録。入門時の期待通りの出世に横綱は間近とも言われ、前述の9代三保ヶ関の「北の湖と北天佑を東西の横綱に並べるのが夢」という言葉もすぐに実現できるものと期待されていた。ところが大関昇進後はこれまでの荒々しい豪快な相撲が影を潜め、目先の勝ち星のために相撲が消極的になってしまうなど相撲のペースを崩し、優勝や綱取りまではいかなくなってしまった。それでも1984年5月場所では、13日目に優勝争いをしていた横綱・隆の里を下し、兄弟子の北の湖の24回目の幕内最高優勝(北の湖最後の優勝)をアシストした。この際に北天佑は、控えに座っていた北の湖の方を振り返り、思わず土俵上で微笑み、北の湖もそれに笑顔で応えるという場面があった。1984年11月場所では当時破竹の勢いの小錦と対戦、これを四つ相撲の寄り切りで退けた。以後も豪快な左下手投げで裏返しにするなど小錦に6連勝している。この場所は12日目に全勝の千代の富士を下すもその後下位力士に3連敗し8勝7敗に終わるなど好不調の波が大きかった。この翌場所1985年1月場所では北の湖が引退、9代三保ヶ関(前年11月で角界を定年退職)の夢はかなわなかった。北天佑自身も尊敬する兄弟子の引退に涙を流した。同年7月場所では千代の富士、北尾、大乃国との優勝争いに競り勝ち、13勝2敗で2度目の優勝を果たす。翌9月場所は初の綱取りとなったが、初日から白星を重ねるも、引退したばかりの北の湖からは「横綱を狙う者の相撲ではない」と内容の悪さを酷評されてしまう。この場所の北天佑は後半に5連敗して9勝6敗に終わりあえなく綱取り失敗。場所後に9代三保ヶ関が死去、北天佑の横綱姿を見ること無くこの世を去った。翌11月場所では初日から10連勝するなど盛り返して12勝3敗の成績を挙げ、再び綱取りへの期待が高まるも翌年1986年1月場所では8勝7敗に終わりまたも綱取り失敗。以後は優勝や綱取りのチャンスは巡ってこなかった。 同年7月場所では糖尿病を患い6勝9敗と大関昇進後初の皆勤負け越し。また1987年3月場所8日目の小錦戦で左膝を負傷してしまい、取り直しの相撲では小錦が北天佑の怪我を庇いながら寄り切られる内容で敗戦、大関昇進後初の途中休場となった(公傷適用により2場所連続休場)。この場所以降怪我に悩まされるようになり、特にこの左膝の故障が致命的になった。翌年の1988年5月場所では左肩を負傷して7日目から途中休場。さらに1989年11月場所では右肘を負傷し、大関昇進後自身皆勤場所でワーストの5勝10敗に終わってしまう。豪快な取り口の反面、技が力任せだった事も災いし、怪我も多くなったこともあり、晩年はさらに相撲が小さくまとまってしまったところがあった。大関陥落はなかったものの、9勝や8勝が多く、それゆえに現役晩年は朝潮と共に「三役の主」「クンロク大関」と皮肉られることも多かった。ちなみに千秋楽に朝潮の勝ち越しや角番脱出がかかる一番では、北天佑の0勝3敗と一度も勝っていない。更に、自身が千秋楽に二桁勝ちをかける際にも割を当てられて敗れ、たびたび二桁勝ちを阻まれている。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}また相撲内容も淡白であった事から、八百長を噂されたこともあった。[要出典] それでも1988年11月場所から翌年9月場所にかけては平均勝ち星を二桁とし、1989年1月場所では横綱千代の富士から3年ぶりの勝ち星を挙げるなど10勝5敗と2場所連続で二桁勝利を挙げ、翌3月場所では初日から10連勝するなど12勝3敗の好成績で久々に終盤まで優勝を争う活躍を見せた。さらに同年7月場所千秋楽では千代の富士を下して、同部屋横綱による優勝決定戦(千代の富士vs北勝海)をもたらした。4度目の大関角番だった1990年1月場所での10勝5敗が最後の二桁勝ち星となり、4場所後の同年9月場所途中に引退を表明した。この時点では角番どころか負け越しもしていなかった状況であったが、場所前に左手の指を痛めており場所に入って悪化させてしまったのが致命的となった。引退会見では2連勝の後の4連敗で引退を決意したと語り、あと6場所で貴ノ花が持つ当時の大関在位記録1位の50場所に並ぶというところで土俵を去った。なお北天佑の大関在位44場所は、当時大相撲史上第2位の記録だった(現在は共に大関在位数1位タイ記録・65場所の千代大海と魁皇、47場所の琴欧洲に抜かれて史上第5位)。
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