大関時代・大関在位44場所とは? わかりやすく解説

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大関時代・大関在位44場所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:39 UTC 版)

北天佑勝彦」の記事における「大関時代・大関在位44場所」の解説

22歳9カ月での大関昇進当時では大鵬北の湖玉乃島(後の横綱玉の海)・貴ノ花に次ぐ5番目の年少記録入門時期待通り出世横綱間近とも言われ前述の9代三保ヶ関の「北の湖北天佑東西横綱並べるのが夢」という言葉もすぐに実現できるものと期待されていた。ところが大関昇進後これまでの荒々しい豪快な相撲影を潜め目先の勝ち星のために相撲消極的になってしまうなど相撲ペース崩し優勝綱取りまではいかなくなってしまった。それでも1984年5月場所では、13日目に優勝争いをしていた横綱隆の里下し兄弟子北の湖24回目幕内最高優勝北の湖最後優勝)をアシストしたこの際北天佑は、控え座っていた北の湖の方を振り返り、思わず土俵上で微笑み北の湖もそれに笑顔応えるという場面があった。1984年11月場所では当時破竹の勢い小錦対戦、これを四つ相撲寄り切り退けた以後豪快な左下投げ裏返しにするなど小錦に6連勝している。この場所は12日目に全勝千代の富士下すその後下位力士に3連敗し8勝7敗に終わるなど好不調の波が大きかった。この翌場所1985年1月場所では北の湖引退、9代三保ヶ関前年11月角界定年退職)の夢はかなわなかった。北天佑自身尊敬する兄弟子引退に涙を流した同年7月場所では千代の富士北尾大乃国との優勝争い競り勝ち、13勝2敗で2度目優勝を果たす。翌9月場所は初の綱取りとなったが、初日から白星重ねるも、引退したばかりの北の湖からは「横綱を狙う者の相撲ではない」と内容悪さ酷評されてしまう。この場所の北天佑後半に5連敗して9勝6敗に終わりあえなく綱取り失敗。場所後に9代三保ヶ関死去北天佑横綱姿を見ること無くこの世去った。翌11月場所では初日から10連勝するなど盛り返して12勝3敗の成績挙げ、再び綱取りへの期待が高まるも翌年1986年1月場所では8勝7敗に終わりまたも綱取り失敗以後優勝綱取りチャンス巡ってこなかった。 同年7月場所では糖尿病患い6勝9敗と大関昇進後初の皆勤負け越し。また1987年3月場所8日目小錦戦で左膝を負傷してしまい、取り直し相撲で小錦北天佑怪我庇いながら寄り切られる内容敗戦大関昇進後初の途中休場となった公傷適用により2場所連続休場)。この場所以怪我悩まされるようになり、特にこの左膝の故障致命的になった。翌年1988年5月場所では左肩を負傷して7日目から途中休場。さらに1989年11月場所では右肘を負傷し大関昇進後自身皆勤場所でワーストの5勝10敗に終わってしまう。豪快な取り口反面、技が力任せだった事も災いし怪我多くなったこともあり、晩年はさらに相撲小さくまとまってしまったところがあった。大関陥落はなかったものの、9勝や8勝が多くそれゆえ現役晩年朝潮と共に三役の主」「クンロク大関」と皮肉られることも多かったちなみに千秋楽朝潮勝ち越し角番脱出がかかる一番では、北天佑の0勝3敗と一度勝っていない。更に、自身千秋楽二桁勝ちをかける際にも割を当てられ敗れ、たびたび二桁勝ちを阻まれている。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}また相撲内容淡白であった事から、八百長噂されたこともあった。[要出典] それでも1988年11月場所から翌年9月場所にかけては平均勝ち星二桁とし、1989年1月場所では横綱千代の富士から3年ぶりの勝ち星挙げるなど10勝5敗と2場所連続二桁勝利を挙げ、翌3月場所では初日から10連勝するなど12勝3敗の好成績久々に終盤まで優勝を争う活躍見せた。さらに同年7月場所千秋楽では千代の富士下して、同部屋横綱による優勝決定戦千代の富士vs北勝海)をもたらした4度目大関角番だった1990年1月場所での10勝5敗が最後二桁勝ち星となり、4場所後の同年9月場所途中引退を表明した。この時点では角番どころか負け越しもしていなかった状況であったが、場所前に左手の指を痛めており場所に入って悪化させてしまったのが致命的となった引退会見では2連勝の後の4連敗引退決意した語り、あと6場所で貴ノ花が持つ当時大関在位記録1位の50場所に並ぶというところで土俵去った。なお北天佑大関在位44場所は、当時大相撲史上第2位記録だった(現在は共に大関在位数1位タイ記録65場所の千代大海魁皇47場所の琴欧洲抜かれ史上第5位)。

※この「大関時代・大関在位44場所」の解説は、「北天佑勝彦」の解説の一部です。
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