大関時代・短命5場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:20 UTC 版)
新大関の1973年9月場所は腰痛の影響もあり8日目から途中休場。2場所目の翌11月場所でいきなり大関角番となったが9勝6敗と勝ち越し角番脱出。しかしそれ以降も首・右膝の故障にも悩まされ、1974年3月場所で9日目から再び途中休場。2度目の角番で迎えた同年5月場所で6勝9敗と負け越し、大関の地位で2場所連続負け越したため関脇への陥落が決まってしまう。 大関在位はたった5場所に終わり、最高位が大関だった力士では6場所制になってからは歴代1位の短命記録だった(短命大関の2位は増位山、栃ノ心、朝乃山の7場所)。さらに24歳3ヶ月での陥落は、雅山と並んで最年少記録である。
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