田淵幸一への頭部死球~耳あて付きヘルメットの義務化へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 16:30 UTC 版)
「外木場義郎」の記事における「田淵幸一への頭部死球~耳あて付きヘルメットの義務化へ」の解説
1970年8月26日の対阪神戦(甲子園)で、外木場は当時2年目だった田淵幸一の左こめかみに死球を与え、田淵は耳から流血して救急車で病院に搬送された。このシーズン、外木場は田淵に12打数6安打4本塁打とカモにされていて、田淵を苦手にしている外木場からすれば、「胸元の厳しいところを突かなければ抑えられない」というプレッシャーがあった。この試合の最初の打席も、ヒジに死球を与えていた。なお、これ以降も外木場は田淵に対して内角高めを攻めきれなくなってしまったという。 この一件は球界に大きな衝撃を与え、これを機に耳あて付きのヘルメットが義務化となった。しかし、この措置に衣笠祥雄は、「耳あて付きのヘルメットをかぶると視界が遮られ、逆に頭部付近のボールから逃げられなくなる」と主張、機構側も衣笠の主張を一部認め、プロで一定年数を満たした選手に限り耳あて無しのヘルメットの着用が許可されたという。王貞治も同様の理由で耳あて無しのヘルメットを着用していたとされる。
※この「田淵幸一への頭部死球~耳あて付きヘルメットの義務化へ」の解説は、「外木場義郎」の解説の一部です。
「田淵幸一への頭部死球~耳あて付きヘルメットの義務化へ」を含む「外木場義郎」の記事については、「外木場義郎」の概要を参照ください。
- 田淵幸一への頭部死球~耳あて付きヘルメットの義務化へのページへのリンク